中級/第70回『読み』
2012年10月10日
今回から中級講座を担当させて頂くことになりました、白鳥翔です。
読んでくれている方々に、これから色々と伝えたいことがあるのですが、文章力のなさ故に伝わり辛い所もあるかと思いますがよろしくお願いします。
「白鳥君は麻雀をどう考えているの?デジタル?」
「はぁ・・・まぁ・・。」
この質問をされる事が多々あるが大抵返答に困ってしまう。
僕自身、いわゆる「流れ」というものが「確実に存在しない」とも思っていないし、そもそも「流れ」に関する定義付け、感じ方も人それぞれである様に思う。
しかし、その「流れ」というものや「ツキ」というものに関して、僕はなるべく意識しない様にしてこれまで麻雀を打ってきたのは事実である。
それを理解して実戦で使うにはあまりにも早い、と感じていたのももちろんあるが、
初級者~中級者、もしくは上級者に関してもそうなのかもしれないが、基礎的な雀力をあげる為には、それを排除して論理的に考えた方が上達が早いと思うからだ。
さて、冒頭の質問に対して、僕が何故返答に困ってしまうのか?
「流れ」というものに関してもそうだが、「デジタル」ということに関してもきちんとした定義付けはされていない様に思うが、
一般的には下記の様な打ち方のことを指すのだと思う。
1.確率論や統計で求められている解に基づいて打牌をする
2.確定している情報を用いて、不確定な情報は(極力)用いない
あるデジタルを標榜する打ち手Aと、
「残りツモ番のない所から自分はテンパイ、他家からリーチが入っていてどの程度の危険牌までテンパイ料の為に切って良いのか」、
ということについて麻雀談義をしていた。
A「リーチの筋くらいなら切っていいんじゃないかな?」
僕「相手が七対子だったとしたら?それを一概に良しとするのは危険じゃない?」
A「でも、七対子の出現率って2.5%くらいなんだよね。だから考えなくていいんじゃない?」
果たしてこれはデジタルと呼べるのだろうか?確率論や統計に頼りすぎで、「読み」を放棄している。
読みに優れた打ち手であれば、河を見て「七対子の確率100%」という打ち手もいるはずである。
その場合、1枚切れの字牌や筋などが危険牌に映るだろう。
この「読み」という部分こそ、麻雀の醍醐味であり、重視すべき部分であると思う。
以前、滝沢プロも言っていたと思うのだが、麻雀は不確定な要素が多い分、読みに裏切られることも多いし、読めない部分も多々ある。
だからといって、それを全て放棄してしまっては、更なる雀力の向上には繋がらない、と私も思う。
「読み」ということに関してもう1つ。
一発・裏ドラ・赤牌ありの麻雀での出来事。(赤牌はが1枚、が2枚、が1枚の計4枚)
ドラはで自分は、
ポン ドラ
この形で待ちは悪いものの一応満貫テンパイ。場にはが1枚切れていた。
厄介なのは下家の親が仕掛けていて、
ポン チー
こうなっていた。ここに中盤で親がを小考してツモ切りした。
次巡、僕がを持ってきてツモ切りすると、なんと下家の親がで晒してこれをチー。そして打。
この時親は、序盤にを切っていた。
少し読みを入れれば、親は??の形が残っていて、と何かのシャンポンでテンパイ。
フリテンになる為をツモ切り、その後を喰い伸ばした、ほぼこのケースだろうと読める。
しかも、今回はがドラで且つ残り1枚のは赤なので、打点も12,000だ。
この様に少し読みをいれるだけで分かるケースがあるが、これは相手の手牌が見えていないからといって、
「2.確定している情報を用いて、不確定な情報は(極力)用いない」 に分類されるのだろうか。
数値だけでいえば、自分が満貫テンパイからならば危険牌を押してもいいのかもしれないが・・・。
僕は、仮に役満をテンパイしていたとしても、この–だけは打ってはいけない牌だろうと思う。
何故なら、親の待ちが–であることも、打点が12,000であることも「確定している」情報だからである。
この読みの例に関しては極端な例かもしれないが、最近の若手に多く見られる傾向として、それをあまりに放棄していることが多いと思う。
確率論や統計に関しても、インターネットの普及や、新しい戦術本がどんどん世に出ていっているので、知識として得やすい。
それを知識として知っておくことに損はないが、それをそのまま使っていいのかという疑問を持ち取捨選択すること、或いは応用させることが重要であると考える。
例えば、あるデータの1つに「東1局に1,000点をアガると、4着率が約20%(以下)になる」というデータがあるらしい。
だからといって、東1局の序盤に入ったチャンス手を鳴いて1,000点でアガしてしまうのはもったいないし、
自分の成績を向上させる為の正しい方法論とも思えない。
更に、このデータを果たしてそのまま自分に適用していいのか、という所が問題だ。
このデータというのは、インターネット麻雀を使って、東1局に1,000点をアガった「不特定多数」のサンプルから集められたものであるのだと思う。
東1局に1,000点をアガった後の打ち方も人によって異なるだろうし、雀力によっても差が出てくるだろう。
故に、それを自分にそのまま当て嵌めてしまうことは危険なのである。
これらに頼りすぎて読みを放棄することは、ヤミテンや仕掛けに対してのケアなどがおろそかになったり、
後手からの踏み込みが浅くなったりと、淡白で浅い麻雀になりかねないと思う。
単純に見えている牌の枚数だけではなく、捨て牌の切り順などから、山に残っている牌や相手の手牌を推測し、それを選択の拠り所にする。
そこまでいって初めて損得勘定は成立する。
上級者、更にその上を行く為には読みというものが必要不可欠なのである。
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