上級/第105回『サバキの神髄⑩サバキの構想(最終回)』 荒 正義
2015年10月23日
ときに放つ一打には、相手をドキリとさせる強烈なインパクトが必要である。
(なんだ、その牌は!)
(どうした、そのリーチは!)
相手の驚きと衝撃。そしてそれに反応し、相手はこちらの意図と理由を推理し、対応する。ここにサバキの余地が生まれるのだ。
あれは第32期鳳凰戦・第7節の1回戦のときだった。
(あら・古川・藤崎・近藤) |
残りのツモは1回限りだ。かを打てばテンパイである。オヤだからテンパイが欲しいのは当然。
だが、気になるのは対面の藤崎の河だ。とが手出しなのだ。
河からマンズの染め手の狙いは歴然。ただし、テンパイかどうか普通はわからない。
しかし、切りのとき少し間があった。
これはマチではなく、打牌の選択に迷ったためだろう。
ところが、次の安全そうな切りはノータイムだ。この時間差から、私は彼の手をテンパイと読んだ。
なぜなら藤崎は、大局観に明るく決断力が早い。
ツモる以前に打牌と構えは決めてある。だから迷いがないのだ。
彼の打牌が、淀みなく流れる川のように美しいのはこのためである。
だがその分、テンパイのときは手出しであろうとツモ切りであろうと、通常より打牌が一瞬早くなる。
これが私が見た、藤崎のたった一つのキズである。だから、その読みは確信に近かった。
ならばここはかを切り、次のツモでピンズの雀頭ができたらテンパイを組む。これが安全で普通の応手だ。
しかし、私は今年のプロリーグの調子が悪く、下から3番目の降級水域にいる。
今日こそ勝って、ここから脱する必要があったのだ。
だからここで、切りの勝負と出た。
リーチをかけたのは、相手に強いインパクトを与えるためである。
これがいわば、噂のガラリーである。
リーチ
この手は流局で結構、アガることより相手にこの手を開いて見せることに価値がある。
流れてこの手を見た相手はどう思うか―。
(ヤツは今日、焦っている…)
(攻めがかかり過ぎだ、叩くなら今がチャンスだ!)
相手は、こう考えるのが普通である。
この後見せる私の攻めにも、相手は強く反発し前に出てくる可能性がある。舐めて当然、こんなリーチは負け組である。
しかし私はこの日、二度とガラリーを使う気はなかった。前に出たときは、打点と受けが十分のときだけだ。
さっきはブラフで今度は本物。これが勝負のかけ引きと、私の戦いの組み立てである。
すると次に、私に親満に飛び込んだ相手はどう思うか。
(あれ、なんか変だぞ?)
こう気がついたときは、もう手遅れなのだ。
アガリを重ね、流れを一気に引き寄せたら、もうこっちのものだ。相手が止めたって、ロン牌はこっちがツモリ上げてしまうだろう。
こうなれば、浮きは軽く50Pを超える。これがこのとき閃いた、私の戦いの組み立てで「サバキの構想」である。
だが、事態はもっと好転した。なんと一発目のラスツモがだったのである。
Aルールに、一発はないが2,000オールだ。このときの解説は、理論派の滝沢和典。
でもこの場面は、説明のしようがなく困ったことだろう。
これで1回戦のトップをものにすることができたが、事がうまく運ぶとは限らないのが麻雀である。
なにしろこの日は、近藤プロのエンジンの出来が良すぎたのだ。打点のある手でいつも攻め込んでくる。こちらは受けるだけで二の矢が出せなかった。
2、3回戦は彼に押し込まれ、どんどん点棒が削られた。そして迎えた4回戦の最後の親番である。
藤崎のの手出しは見ていた。しかし、その打牌のスピードは見落とした。
河から、マンズの染め手が濃厚である。またしても相手は藤崎で、河も同じマンズなのだ。いやそれは、ただの偶然だろう。
問題はテンパイかどうか、ドラのがあるかどうかである。伏せられた相手の手の高さなんてわからない。
私は、ここが最期の勝負の場面と踏んだ。
カンを引いて、受けがピンフの両面で高めが三色なのだ。ラス目の親だ、ここで引く気はなかった。
勝負と。そしたら「ロン!」の声だ。
藤崎の入り目はで、最終打牌がだった。とは、どちらが出てもイーペコ―で、見事な跳満である。
「しまった!」と、思ったがもう後の祭りである。
彼は1,000点の手も跳満の手も、同じ空気でアガる。これが藤崎の強さと怖さである。技も一流だが、このときはマチも一流だったのである。
藤崎の開かれた手を見て思った。
(あんなラス牌のを引いたのか…)
だが後悔はしていない。これが麻雀なのだ。構想はよかったが、展開が味方しなかっただけなのだ。
この後の感想戦で滝沢が聞いて来た。
「を…止める気はなかったですか?」
「止めたら負ける―」と、私は応えた。
理由は、ラス目の最後の親番である。リーチなら高めで11,600だ。
一方、藤崎はドラがあるともテンパイとも限らない。
こんな状況で、見えない影に怯えては勝負にならない、と思ったからである。
この苦い経験も、また糧となる。
人は生涯のオーラスに至るまで常に成長、進歩しなければならないのである。
*1年間のお付き合い、ありがとうございました。
2015年、初秋。
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