プロ雀士インタビュー/第143回:プロ雀士インタビュー 灘 麻太郎 インタビュアー:菅原 千瑛
2016年04月20日
カミソリ灘の異名を持つ、御歳79歳の灘麻太郎名誉会長。
その年齢を微塵も感じさせず、力強さを遺憾なく発揮し続ける麻雀プロ”灘麻太郎”が新たに手にしたタイトル、第6期グランプリMAX。
今回、現タイトルホルダーの中で最高齢である灘会長のインタビュー。
インタビュアーは、おそらく連盟員の中でも上位を争う程、灘会長との”年の差”を持つ、菅原千瑛が務める。
とある木曜日、いつものように四ツ谷での女流勉強会を終え、灘会長との待ち合わせ場所である夏目坂スタジオに、今回のインタビュー内容を考えながら向かう。
おそらく第6回グランプリMAXの観戦記にて、麻雀の事は存分に触れているであろう。こちらも合わせて是非ご覧頂きたい。
第6期グランプリMAX決勝観戦記 初日 紺野 真太郎
第6期グランプリMAX決勝観戦記 最終日 紺野 真太郎
菅原「灘会長、この度はグランプリMAX優勝、おめでとうございます。いきなりですが、対局の最中で優勝を意識された瞬間はありましたか?」
灘 「優勝を意識、は決勝に残った時から常に意識していたよ。それはきっと4人ともだろうけどね」
菅原「なるほど。今回決勝戦は2日間の戦いでしたが、灘会長は対局にはどんな気持ちで臨んだのでしょうか?」
灘 「当たり前のことだけど、自分が勝つためのことしか考えてなかったね。勝つために、自分に出来る最善を尽くそうと思っていたよ」
菅原「特に御自分の中で印象深い局はありましたか?」
灘 「個々の印象だといくつかあったよ。一番は、まぁ観戦記でも触れていると思うけどね、2回戦目のオーラスかな。和久津(和久津晶プロ)がトップで、自分が1人沈みで、そのまま終わると差をぐんとつけられてしまうじゃない。だからあの局は逆転の手を狙おうって打ったよ。自分が1人沈みのところからリーチして、四暗刻をツモって、逆に1人浮きになって。そこからはずっと(3回戦以降の対局終了時点でのトータルポイントの)トップを譲ってなかったと思うよ」
菅原「そうですね。それぞれの対戦相手に対しての印象、意識などはありましたか?」
灘 「柴田(柴田吉和プロ)はあまり知らなかったけど、まだまだこれからのところがあるように見えたかな。伸びしろはあるよ。HIRO(HIRO柴田プロ)は相手のレベルが高ければ高いほど良い対応をみせる。まぁAリーガーだからね。和久津は…俺はさ、昔から女に弱いからね。女流プロと打つと大体負けるの。だから今回和久津のことを女だって思わないようにしたよ(笑)」
ふむふむ、これは舞台に立つ前に、緊張するなら観客をジャガイモとかカボチャとかまぁ野菜だと思えば大丈夫、みたいな教えに似たことだろうか。
灘 「今回のグランプリの時は同じスーツ着ているんだよね」
菅原「それはゲンを担いで、ということですか?」
灘 「そうそう。今まで着たことないスーツなんだよね」
菅原「今回のために新調されたものということですか?」
灘 「いや、新調じゃなくて昔から持ってはいたやつなんだけどね。普段はさ、上下色違いのやつとか三つ揃えのやつを着ることが多いけど、試合の時に勝てないやつは同じものを着ないようにしている。けれど、今回は(初日、2日目通して)ずっと着続けたよ」
灘会長はお洒落な方だなぁといつも思う。スーツとシャツの色合いなど、細部にまでこだわりを感じるし、いつもピシッとしていて気品がある、という意味でだ。
灘 「もともと昔は大勝負の前に、”関東流れ唄”っていう演歌を歌っていたんだけど、最近は海峡物語っていうドラマの主題歌の”旅の終わり”にっていう歌があって、今回は旅の終わりにを歌ってタイトルにこぎつけたよ。これはみんな誰も知らないからね(笑)」
菅原「書いちゃって大丈夫ですか?みんなこぞって歌っちゃうかも!」
灘 「いいよ(笑)。誰が歌っていたんだったかなぁ。昔の歌だけどね。まぁ、旅の終わりにって調べたらきっとすぐ出てくるよ」
菅原「調べてみます!」
どちらもすぐに歌詞も動画も出てきた。
前者は北島三郎、後者は冠二郎や藤圭子が歌っているものを聴いてみた。
ふむ。
演歌に耳馴染みのない世代の私には、少し寂しい歌詞だな、こぶしがきいているな、上手だな、という小学生の感想文並みの感想しか出てこなかったが、年齢層が上に行けば行くほど染み入る方も少なくないのではないだろうか。
しかし大事な対局前に音楽を聴く、というのは聞いた事があるが、歌を歌う、というのはいささか新鮮であった。
興味の湧いた方はぜひ一度試していただきたい。
灘 「麻雀プロって何だと思う?麻雀って何だと思う?」
菅原(どっちから答えれば良いのだろう。あれ?そもそも私がそういうのを尋ねる役目だった気がする…)
灘 「最近はなんだかさ、プロになって、それだけで満足しているプロが多過ぎるように思うよ。折角資格を与えられたのなら、自分はそこからどういうプロになろうかと沢山模索して、見つけたら、今度はその方向に夢を広げていくことが大切であって。ただただ麻雀打つだけだったら(プロでなくても)あまり変わらないじゃない。プロっていうのはそれで飯が食えるかどうか、っていうところだとも思う。例えば、囲碁将棋なんかはさ、小学生の頃から内弟子に入ったりね。だから20代からタイトル獲れるんだよ」
菅原「確かに、麻雀プロを子供の頃から志す人ってなかなかいないですよね」
灘 「麻雀の場合は昔はそもそもプロというものがなかったし、プロが何人か出てきてからだと、大学に入ってから、とか、麻雀強いって言われているから、とか。なんとなくでプロになろうって、何の修行もなしにプロになっている人が多いから、20代でタイトル獲れる人は少ないよね」
菅原「この業界では30代でも40代でも若手と言われる人が割と多い印象があります」
灘 「僕らの世代から見ると、荒(荒正義プロ)、森山(森山茂和プロ)、伊藤(伊藤優孝プロ)たちもさ、ずーっと若手というイメージで見てきていたからね。まぁ、今はそうは思わないけれど(笑)。10年位前までは若手だと思っていたからね」
菅原「ふむふむ。ではずばり、麻雀プロに必要なものとは、何だと思いますか?」
灘 「例えば強さ。出るタイトル全てのタイトルを獲れるプロを目指していく。普通のことだけれどね。あとは人気、認知度、かっこよさ。まぁ、みてくれとかもそうだし、麻雀している時のかっこよさというのかな。でもそういうものを評価するのは自分じゃないから、観てる側があの人はプロだ、って評価する訳だから、そう評価されるプロであり続けたいと思う気持ち。それから、これから伸びていくだろう伸びしろ。これ以上伸びないってなったらプロを続けていく意味がないと思う」
菅原「御自身の、目指してきた、理想としてきた、麻雀プロ像等はありますか?」
灘 「プロとして、ただアガるんではなくて、観ている人や対戦相手に納得させて勝てるアガリをする、そういう麻雀プロを目指しているよ」
菅原「麻雀とは、何でしょう?」
灘 「俺にとって麻雀は、もう40数年やっているけれども、麻雀の全てが分かっているわけでも何でもなくて、自分の中で麻雀でのテーマは沢山残っているんだよ。例えば今の打ち筋で良いのかとか、これから攻めをもう少し強めようとか、色々試行錯誤して麻雀のレベルアップを図っていこうと思っているよ。今もね。だから常に自分が強くなるべく、プロとして、自分にテーマを与え続けていかないといけないと思う。80歳くらいのプロになって、麻雀というものが多少分かってきたから、だからこそ、これからもずっと勉強していきたいね。そういうものが、麻雀、かな」
人生はいくつになっても勉強、ということなのだろう。特にプロとして、勉強しなくなってしまえば成長もきっとない。これからも長きに渡り、学び続けることは必要不可欠なことだと改めて感じる言葉だった。
灘 「俺は30年会長やっていて、いつまでも会長をやっていてもしょうがないからさ、森山に譲ったの」
灘会長は私が連盟員となった当時、日本プロ麻雀連盟の会長であり、現在は名誉会長である。
ふと、おそらくこの30年の間、私には到底想像も付かないような様々な出来事や時代の流れがあったことだろう、と思ったが、まだ生まれてから30年も経っていないのだから、それもそうかと腑に落ちる。
菅原「30年務められた会長を退き、名誉会長に。そして現役タイトルホルダーに。これからも灘会長は麻雀プロを続けていく…ということですよね?」
灘 「勿論。…そうだな、あと5年は続けるよ。って、毎年そう言ってるけれどね(笑)そんな年齢までの人なかなかいないよってよく言われるよ」
灘麻太郎は激動の時代を生き抜いてきた数少ない麻雀プロの内の1人である。そして今もなお、進化に向けて試行錯誤を繰り返している。
それがどんなにすごいことか、果たしてあと55年経ったら私にも理解出来るのだろうか。
菅原「麻雀についてではない部分も聞きたいと思うのですが」
灘 「何でも聞いて良いよ」
菅原「えっと、普段は何をされてるんですか?」
灘 「普段?普段はまぁ、よく遊び、よく仕事し、かな。飲みに行ったり、原稿書いているよ。麻雀の戦術だったり、麻雀の歴史に関してだったりね」
菅原「あ、確かお酒は飲まれないと誰かから伺った気がするのですが」
灘 「うん、お酒は一滴も飲めないんだよね。だから飲まないけど飲みに行くのは嫌いじゃないから。よく行くよ。人間、欲がなくなったら成長もないからね。遊びたいとかさ。ストレスを溜めないように適度に遊ぶことも大切だよ」
菅原「テレビとかは観られたりしますか?」
灘 「時代劇は好きだよ。まぁ、麻雀バカだからなぁ。あんまり観ないけどね」
菅原「以前のインタビュー記事にもあったのですが、筋トレは今もされているんですか?」
灘 「うん、もう20年近くかな。毎日寝る前にしているよ。自己管理のためにね。身体が硬くなってたら、スッスッ歩けないじゃない。人間って歳とともに背が縮んでいくんだよ。だから運動だったり柔軟体操だったりをしっかりしないとね。それと腕もさ、歳とともに自分の腕の筋力が落ちると手が痺れたりするんだよ。だから筋肉をつけておかないとね。プロでありたいと思う、そのための自己管理。若いうちから習慣にしておいた方がいいよ」
菅原「が、頑張ってみようかな…。灘会長の今後の目標、夢はありますか?」
灘 「僕は未だに夢があるよ。夢というか、こうしたい、ああしたいとか、それも届かない夢じゃなくて手の届く夢。それは沢山持ってるよ。例えば今、歌のラジオやってるんだけど、それを続けていくこととか、あとは究極の必勝法を書きたい、とかね。書く方からプロになっているから。昔はさ、飯食うためにだけどね、多い時は月に連載17本とか書いてたよ。でも文章書くことは仕事であるから寝る時間も惜しんで書いていたし、山のように引き受けていたけれど、得意だとは思っていなくて、むしろ苦手な気持ちはあったね。(菅原は)文系でしょう?字も上手いし、多分文章も上手いんだね」
菅原「いや、私は文章書くことは好きなんですが、文字で伝えるってことは難しいなぁと常々思っていて。今回灘会長のインタビューということでプレッシャーがすごいです!」
灘 「そうなの?俺はさ、スマホとか持ってないから、どうせ見れないから、だから何て書いても大丈夫だよ(笑)」
菅原「優しい…頑張ります!(汗)」
灘 「…でもそうか、24かぁ。人生これからだなぁ」
菅原「はい。これからも頑張ります」
灘 「親は心配してるんじゃないの?」
菅原「初めは多分…。でも今はニコ生だったりCSだったり私の映像対局を録画して観たりしているみたいで、すごく応援してくれていますね」
灘 「そうか」
そう言ってふっと柔らかく微笑んだ灘会長は、先程までの麻雀への思いを語る真剣な眼差しとは対照的で、優しさに満ちたものだった。
しかし麻雀プロ・灘麻太郎のカミソリは健在であり、その切れ味の鋭さをこれからも観ることが出来ると思うと楽しみで仕方ない。
進化し続ける日本プロ麻雀連盟の名誉会長を誇らしく思うと同時に、この先55年、絶えず学び続けていこうと決めた。
その先にある、努力した者にしか見ることの出来ない景色がどんなものなのかを、私は知りたい。
カテゴリ:プロ雀士インタビュー