第136回『勝負の感性⑥~パターンを知る~』 荒 正義
2018年10月01日
1.人読み
対局が始まる前に、場所決めがある。そして、席順が決まる。この時から、勝負はすでに始まっている。問題は、誰が上家で下家だ。
滝沢和典・藤崎智は、流れに乗って面前主体で来る。下家が染め手で仕掛けたとき、生牌の字牌はおろかその色の牌はおいそれと出してはこない。出たときは好形の1シャンテンかテンパイだ。それも打点のある手。だから、打ち筋は「静」である。
一方、佐々木寿人と古川孝次は鳴きを多用して前に出る。ヒサトはアガリに向かって直線的。古川の鳴きは、仕掛けで相手を翻弄するのが主体。相手を受けに回し、手を曲げさせ翻弄するのだ。これがサーフィン打法。
しかし古川の手は、本手も混じっているから始末に負えない。なめてかかると「12,000点」と言われて、ひどい目に合うのだ。
しかし、鳴きに違いはあっても手を狭めて前に出るという点では同じである。だから、打ち筋は「動」である。
最悪な席順は、上家が「静」で下家が「動」のときである。鳴けば上家には牌を絞られ、下家にはポン、ポンでツモが飛ばされる。そして、下家の仕掛けに牌を絞るのも厄介である。
この並びでは2、3着で上等、と思うことが大事。プロリーグなら浮けばOKである。期待を大きく持たない分、マイナスしても心の揺れが少なくて済むからだ。動揺は、勝負に禁物である。もちろん「運」の高低があるから、席で着順が決まるわけではない。ただ、そうなるパターンが多いという話である。
上家が「静」なら、遠い仕掛けはしてはならないのだ。
ドラ
上図の手は、一発裏なしのプロリーグ戦。東2局6巡目の西家の手である。ここに、上家からが切られた場面だ。
ドラがなら、鳴いて三色で決めたら7,700点。大きい打点があるから手拍子で鳴きたくなるが、じっと我慢だ。これを鳴いたら、次が鳴けないのだ。藤崎、滝沢はこう考える。
(まだ、点棒の動きの少ない場面で両面のチー…ドラがトイツか暗刻だな…)
と、すぐに看破される。
三色まで見ているかどうかわからぬが、その近辺の牌は出てこない。鳴けば1シャンテンで一手進むが、次が鳴けないなら2シャンテンと大差がない。ここは、スルーが確かな足取り。実戦はこの後のツモがとでリーチが入る。
リーチ
西家の河
この河なら、打点もマチも判らない。鳴いた満貫のテンパイより、断然こちらの方がいい。これなら相手は、待ちも打点も読みづらいからである。
仕掛けて、そのあと仮に運よくが鳴けたとしてもこうだ。
チー チー
伏せられた7牌の手の内はこうだ。
最終打牌のがキズとなり、受けはピンズで特に筋のは三色の本命となる。もちろんピンズのも、一応は危険牌の範疇にある。
ドラ
上家が「静」なら、この牌姿で鳴くのはだけである。一歩譲ってもまでだ。の両面は、自力で引く覚悟が大事。
一番いい並びは上家が「動」で、その上家が「静」の並びだ。ヒサト・古川の仕掛けは「静」に封じられ、できるのはポンだけ。すると相手のツモ番を飛ばし、こちらのツモが多くなる。これなら、アガリの期待値が大である。
*相手の打ち筋と席順で、微妙に打ち方を変える。これが人読みである。
東1局0本場。ドラ
7巡目、親の「動」のヒサトから先制リーチがかかる。ゲームは始まったばかりで、運も流れも手探りの状況である。
このとき、西家の私の手はこうだ。
ツモ
戦えそうだ。まず筋のを通してが鳴けたら、打が勝負牌。こちらもドラ2だから、勝負の価値はある。これが、私の戦いの構想である。
ところがこのとき、南家の「静」の(藤崎・滝沢)から手出しの切りがあったのだ。
ここで、ピンと来ない打ち手は感性が「鈍」である。はロンの声がかかってもおかしくはない牌だ。しかも、相手は親だ。ロンはないという否定材料があるのか。いや、あるはずがない。私の手にとある以上、ないのだ。となれば、南家は相手が親でも向かう手ということになる。打点が高く好形。いや、今テンパイした可能性もある。ヤミテンで来る以上、現物待ちも考えられる。
ツモ
私はここでを切って、受けに回った。そのあと、南家のツモ切りリーチが入った。
1巡前、南家の手の内はこうだった。
ツモ
ここでを引いての切りだった。結果は、親がで放銃。私は危うく難を逃れた。相手の打ち筋を頭に叩き込めば、見えないものが見えてくる。
状況で判断。これも「人読み」である。
2.配牌に戻る
これは、開始早々の西家の配牌。
ドラ
カンチャンだらけで、悪形の配牌である。見えるのはソーズの染め手か。この時点で、西家がアガリできる確率は10%である。
しかし、第一ツモがで123の三色が見えて来た。丁寧に字牌を合わせ打つ。麻雀は配牌も大事だが、ツモも大事。うまくツモが利いて西家の手が7巡目にこうなった。
もう一息だ。10%のアガリ率が30%まで上がっている。しかし、実践は複雑怪奇だ。ここで、8巡目に親のリーチが飛んで来た。
(親の河)
そして、西家の次のツモがだったのである。
ツモ
さて、問題はここである。前に出るか、引くかの決断のときだ。どうする?
私の感性は、あの配牌を思い出し「引き」である。
ドラ
アガリ率10%だった手がここまで育っただけで、よしとする。配牌は悪かった。
ツモは利いたが、残念ながら一歩及ばないのだ。この手が本当にアガリできるなら、親のリーチの指示牌でアガリできたはずだ、と考える。一発で振り込んだら、親満はあるだろう。ここでの放銃は、点棒を失うと同時に態勢も崩すのだ。ここで危険を冒す必要はない。配牌を思い出せば、簡単にオリられるはずだ。ツモは、罠に感じる。これが、私の勝負の感性である。
逆に配牌がよくても、ツモが噛み合わないパターンもある。
ドラ
上図の手は、東1局南家の配牌。
配牌でソーズのイーペーコーがあり、手牌はタンピン形。「もう、いただき」と思ったら意外に長引いた。
これが5巡目の手。引いたのは2枚のだけ。ここからもツモは伸びなかった。これが10巡目の手。
引いたのはだけである。配牌からあったマンズのカンチャンが、どうしても埋まらないのだ。ここに親からリーチの声。
親の河
そして、同巡に来たのがである。
ツモ
がドラなら打牌はとなるが、なぜか不安を感じる。
勝負するならマンズが埋まったこの形である。
ツモ
でなければこうだ。
ツモ
この形なら、ドラのでも勝負の価値がある。
なのに、こうだ。
ツモ
南家の不安は3つある。
① 配牌がよかった割にツモが伸びず、親に先手を取られた。
② 受けがカンチャンで、マチはイマイチ。
③ 親のリーチに、一発で危険牌を打たなければならない。
以上の理由で、私はを切って様子見となる。
麻雀は、戦うだけが勇気ではない。パターン(流れ)が悪いと感じたら、引くのも勇気なのである。
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