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第140回『勝負の感性⑩~大局観~』 荒 正義

私が麻雀を打ち始めたのは小学2年のときで、家庭麻雀だった。動機は至って単純、ピンズの絵柄がとても綺麗だったからである。だから、ピンズばかり集めていたのだ。勝ち負けなんか、どうでもよかった。
どうせ勝っても、支払いはマッチ棒。勝負が済むと、その棒を大箱に戻すだけ。だから、この時代はピンズがとても綺麗(楽しい)だったから。ところが社会人になると、そうはいかない。そこには、プライドと若干の損得勘定が加わるからだ。勝ち負けを気にするようになる。ここから、どうしたら勝ち組に回れるか、考えるのだ。しかし、考えるだけでそれほど熱中はしない。

プロの世界に入ると、話はがらりと変わる。強さがすべてなのである。
1975年。私が駆け出しだったころ、麻雀界には3人の大御所がいた。
小島武夫、灘麻太郎、古川凱章である。当時20人居た若手プロは皆、この3人の背中を追っていた。力不足は分っていた。だから早く力をつけて、いつか同卓したいと思っていた。それがみんなの夢だった。
5年かかるか10年か。いや、もっとかかるかも知れない。私もそうである。
当時は仲間内で打つことはなかった。勉強会も研究の場もなかった。なので、毎日フリー麻雀に通い、強さを求めて鍛錬である。麻雀熱中時代の始まりである。

これは、そのときの私の手牌。
南3局南家9巡目(一発・裏あり)。

二万二万六万七万八万六索八索八索三筒四筒六筒七筒八筒  ツモ七索  ドラ一万

(南家の河)
西北中一筒 上向き八万 上向き九筒 上向き
二索 上向き四筒 上向き

東家・14,000点
南家・25,000点
西家・40,000点
北家・21,000点

この日の第1戦である。河に見えている二筒五筒は3牌。私はリーチかヤミテンか、一瞬迷った。状況(点差)から、ここの構えは難しい。
リーチをかけても、西家からの出アガリの期待は無理である。2番手のリーチだ、無筋を掴めば手仕舞いがトップの道理だ。向かってくるのはラス目の親と、3番手の北家だ。裏が乗れば跳満だが、点差があって1回のアガリで逆転は無理だ。裏ドラが乗るかどうかも分からない。リーチでツモもある。それなら跳満。同点で並ぶが、次がラス親なのである。次は他家のツモでも駄目だ。
どうせもう一度、アガらなければトップは取れない。
なので、私はヤミテンを選択。すると2巡後、北家から二筒が出て満貫のアガリ。私は、脇で偶然見ていた灘さんに聞いた。
「リーチですかね?」
すると灘さんが、珍しく答えた。いつもは、笑っているだけで答えないのだ。
「まず、2着を確定させてから上を見るンだ―」
私が24歳で、灘さんが39歳のときである。

私は、灘さんの言葉に自信を持った。考えが同じだったからだ。確かにロン牌が3番手の北家から出たので、2着確定。これでトップとの差は7,000点だから、次のラス親は2,000点オールで逆転となる。
現状はトップ目有利だが、こちらにはアガった勢いがある。こうなると、もうオーラス勝負はどう転ぶか分らない。これが大局観である。
麻雀の正しい応手は、部分ではなく半荘の展開や流れから選ぶもの。と、このとき私は確信したのだ。これまで、4日勝っても次の週の3日は負けていた。勝ち負けにばらつきがあったのだ。どうして勝ちが続かないのか、私は不思議だった。
麻雀を、部分でしか見ていなかったせいである。この日から、もっと広く、大局的見ることにしたのだ。するとどうだろう、守りと攻めの精度が上り勝率が高くなったのである。

では、この手が東1局の散家の場合はどうか(WRCルール)。自分の運も勢いも手探りの状態である。

二万二万六万七万八万六索七索八索三筒四筒六筒七筒八筒

ヤミテンなら50%の確率でアガれそうである。しかしリーチなら、アガリ率は25%に下がる。その代わり、跳満になる可能性があるという場面だ。
この手が開局早々の東1局なら、どちらの手段もある。前原雄大や佐々木寿人なら、即リーチか。しかし、私は親でも子でもヤミテンに構える。確実にアガってツキを呼び込み、まず場の主導権を握ることを考える。1度では無理だが、2度決めたら、主導権は握れるはずだ。
しかし、前の半荘が好調でトップなら、私はリーチを選択する。今の流れは、自分にあると信じる。タンピン三色の、この手牌の強さも信じる。このように攻めは、流れを見て緩急を加えることが大事だ。この大局観に明るいのが、藤崎智と沢崎誠である。彼らのリーチとヤミテンの精度の高さは、映像を見れば一目瞭然である。

○アガリ番
東1局の3本場、8巡目。そのとき南家の私の手がこうだった。

一万一万一万五万六万四索五索六索七索八索六筒七筒八筒  ツモ四万  ドラ二筒

(南家の河)
西北発八万 上向き九万 上向き一筒 上向き
九筒 上向き

受けは3面チャン。一発・裏ありのルールなら、即リーチが普通の応手だ。
しかし、私はあえてヤミテンを選択。理由は、親の3本場が気に入らなかったからである。まず親は、流局間際に形式テンパイで3,000点の収入。
このときすでに、私は嫌な予感がしていた。私から見れば、いい親の連荘である。北家は打牌に細心の注意を払って親の現物を切ったが、これがフリテンで鳴かれたのだ。こういう親は怖いことを、経験上知っている。案の定だった。
1本場はヤミテン3,900点で、親のアガリ。
2本場はリーチで7,700点の親のアガリ。しかも、カンチャンの苦しい受けだった。しかし、それが後筋となりオリた散家から出てしまったのだ。
私は放銃こそしなかったが、この展開から次に親が本手でアガリする予感がした。それが親満なのか6,000オールかは分らない。なので、ここはリーチで打点を上げるより、親落としを優先したのだ。一万を切ってヤミテン。すると、西家からすぐに九索が出てロン。
このとき今テンの親から『あっ!』の声が漏れた。親の手はこうだった。

二万三万四万六万七万八万五索六索七索二筒二筒六筒七筒  ドラ二筒

(親の河)
一索 上向き中九筒 上向き四筒 上向き東二万 上向き
五索 上向き一筒 上向き

私がリーチなら、西家の九索は止められる。五筒八筒が私の河にないので、親も追いかけリーチをかけてくるだろう。三索は北家が暗刻で、九索は河に2牌。めくり勝負なら、勢いのある親が断然有利だ。ここで、私は危うく難を逃れた。
このように麻雀を1局単位ではなく、半荘の流れから見ることで視野が広がり、攻守の精度が高くなるのだ。一見すると、この局は私のファインプレーに見えるが、そうではない。
展開から見れば、ここは誰が見ても親のアガリ番なのである。アガリ番とは、どう打ってもアガる状態で、その態勢をいうのだ。親の手はこうだった。

二万三万四万六万八万五索六索七索一筒二筒二筒六筒七筒  ツモ七万

ツモは絶好のカン七万。親はここでためらわず、リーチの一声が必要だったのである。ここでリーチなら、私が暗刻の一万は打てたかどうかわからない。仮に打てたとしても、私のロン牌の九索は親の危険牌で止められる。私の手はほぼ空テンである。となれば親の1人旅だ。
アガリ番のときの強気の攻めは、相手のロン牌も止める、こういう現象がよく起きるのだ。そして打点はてっぺん、これが攻めの効果だ。
親は捨て牌に九筒四筒があり、待ちが裏筋なっているから慎重になったに違いない。普通ならそうだ。しかし、アガリ番のときは自分の捨て牌など気にしなくていいのだ。5,800点はリーチで満貫に、満貫は跳満狙いと強気の攻めがいい結果を呼ぶのだ。これも勝負の感性なのだ。感じるか感じないか、そこが大事なのである。