第84回『~たかが500点、されど500点~』
2013年12月18日
私は、今期のA1リーグの対局をすべて終え、スタジオを出ようとしていた。
その時、白鳥翔君に出会った。
「私は今日、いかほど沈んだのかナ?」
「わずかです」
「どうもありがとう」
そう言ってスタジオのドアを閉め、独り表に出た。
―――どうしようもないナ。
私は誰に言うでもなく独り言をつぶやいていた。
なにしろ、親で四暗刻を引きアガリながらも、トータルポイントをマイナスにしてしまうなんて、
いくら条件戦の戦いだからといっても、あってはならないことである。
仲間からの食事の誘いを断った。
相手に無駄な気を使わせたくないとうこともあったが、
それよりも、一刻も早く家に帰り、今日の対局の映像を見たいという気持ちのほうが強かったからである。
私は家に入るや否やパソコンを起動させた。
大きなパソコンの画面には、何かに脅えながら麻雀を打っている自分が映っていた。
その日の昼すぎ頃、荒正義さんから電話が入った。
「近藤君には気を付けた方がいいよ。相手も死にもの狂いで向かって来るのだから…」
「わかっています。ありがとうございます」
そういって電話を切った。
私は今対局をむかえるにあたり、愚形リーチだけは取らないことを決めていた。
特に優位に立った場合、ノーガードになることこそ愚かしいことはない。
体重も1ヶ月ほどで10kgほど落とした。長時間にわたる対局は神経をすり減らし、その時に体力が無ければ、集中力持続の妨げになると考えたからである。
シミュレーションもかなりした。
それでも私は敗れ去った・・
ミスは数多くあるのだが、自戒の意味を込め読者の方々の役に立てれば幸いである。
私にとって、1回戦の勝負所は東4局だった。
東4局
ツモ ドラ
捨牌
私はオーソドックスと呼ぶべきテンパイ取らずの打と構えた。
同巡に、古川孝次さんにもテンパイが入る。
ポン ツモ
私はこの時点で、古川のテンパイをはっきりと感じ取っていた。
そして次巡、私にが重なり打のリーチ。
このリーチは、山にもかなり残っていると考えられ、普段通りのリーチではあるが、結果は近藤久春さんを追い込んでしまい、古川に値千金の満貫のアガリを生ませてしまった。
条件戦ということを意識すれば、ヤミ点という選択肢もあったかもしれない。
近藤手牌
ポン
この手牌から打で古川へ放銃となったのだが、
これに対して、今日の戦いはかなり厳しく思われたし、そう考えざるを得なかった。
2回戦終了時点で、私はトータルラスまで落ち込んでしまっていた。
ことに、オーラス私のリーチを受け、1回戦同様、近藤から古川への放銃は、私に暗点を落とした。
2回戦終了時
近藤▲66.0P 古川▲71.9P ダンプ▲81.9P 前原▲99.3P
私との点差は、近藤33.3P、古川27.4P、ダンプ17.4P。
点差としてはさほどのことはないと意識していたが、私を暗い気持ちにさせたのは、自己責任による展開の悪さであった。
3回戦、私が予想した通りの展開で東場は進んだ。
その中で、わずかながらも光明が見えたことは、私を除く各者が早い巡目で1,000点のアガリを拾い始めたことであった。
これは私の主観に過ぎないが、この展開で誰かに大物手が入ることを過去何度も経験している。
そして私に、南場の親番で光り輝く神が手元に舞い降りた。
四暗刻である。
暗カン リーチ ツモ ドラ
ことに感触が良かったのは、を暗槓したときに嶺上牌からを引き込み重ねたことだった。
このひとアガリで、条件を受ける側から突き付ける側に立場が変わったのであった。
私は普段リーチを打って、その結果がどう出ようと常に次の局の対処、少なくとも出処進退を考えながら打っている。このアガリは、相手にも大きかったように思うが私にも精神的に大きかった。
映像をご覧の方は解ると思うが、私は次局、指が震え配牌がうまく取れなかったほどである。
つまりは、私はこの大きなアガリに正直動揺してしまったのである。
言葉を変えるならば、私の心の弱さがはっきりと見て取れる場面である。
私は四暗刻をアガった次局以降、何をすべきか考え損なってしまったのである。
心の軸がブレてしまったのである。
南3局
配牌
ツモ ドラ
私はこの手牌から打と構えているが、攻めるならばどこが伸びるか解らない以上、字牌を切る手もある。
対する近藤の手牌は、
ツモ
次巡、私はツモで打としている。これは特に問題ないように考えている。
そのを近藤が仕掛けた。私の手元にやってきたのは、弱いツモであるであった。
ここで私は、上家の近藤が打ち出しているを合わせ打っている。
これは条件戦であるということを考えれば、非常に中途半端な構えであったように思えてならない。
攻めるならば、この時点で打ち出す牌はではなくであったように思う。
もしくはのツモ切り。もしくは、打も条件戦としては適った一打のように思える。
そして、真っ直ぐにオリに向かう。
なにしろ私の望みは、得点を重ねることよりも、早くこの半荘が収束することに他ならないからである。
ちなみに、この時点でのトータルの得点は、
前原 +40.2は+52.2 ▲99.3+52.2=▲47.1
古川 ▲0.9は ▲1.9 ▲71.9▲1.9=▲73.8
近藤 ▲18.6は▲21.6 ▲66.0▲21.6=▲87.6
ダンプ▲20.7は▲28.7 ▲81.9▲28.7=▲110.6
古川とは26.7差、近藤とは40.5差、ダンプとは63.5差なのである。
普段のリーグ戦であるならば、打というのも麻雀的にごく普通の一打である。
ただ、条件戦ということであれば、打は明らかな誤打といっても言い過ぎではないように思えてならない。
要は中途半端な一打だったように思える。
そういった意志の無い一打に、麻雀の女神が微笑むことは無いように思える。
次巡、近藤は待望のをツモり小三元のテンパイが入り、私は望まずのをツモり、テンパイを組み打の放銃に至った。
ツモ 打 ドラ
私は麻雀に臆病や脅えといった感情は必要だと思っている。
また同時に、大らかさといったものも必要だと思っている。
簡単に記すならば、繊細になるべき所はどこまでも淡く打つべきものだと思っているし、
大胆になるべき所では、どこまでも濃く打っていくべきものだと捉えている。
私はいくつかのタイトルを取ることができたが、終盤に差し掛かれば差し掛かるほど、
今局面のような局面では、三元役に脅えたものである。
その繊細さが、最近の私に失われているように思えてならない。
だからこそ、こうやって最下位卓で降級争いをしていると私は考えている。
私自身はっきりとは覚えていないが、こういった中途半端な、いわば気の無い一打、牌に踊らされたような一打が多かったように思える。
結果は私の放銃で終わったが、近藤の望んでいるとは私だけではなく、全員の手牌に収まっていた。
前述したように、私は攻める姿勢を持って打ではなく、打とすれば少なくとも私の放銃はなかった。
このことを、たまたまの結果論と見る方もいるかもしれないが、それは断じて違う。
牌の後先、序盤の一打一打、魂を込めて打ち続ける人を麻雀プロと呼ぶべきものなのだろう。
私の対局が終わった2日後に、A2リーグの下位卓の戦いがあった。
その中、残り一戦となった時点で、オーラスの滝沢和典のオリは見事なものであった。
ツモ
この時点で他家には誰にもテンパイが入っていなかった。
それでも、打と滝沢はキチンとオリに向かい、キチンとラスを取りに行った。
ラスでありながらも、牌に踊らされず流されることもなく自分の意志を貫いたのであった。
その結果、最終戦を迎えるにあたり、滝沢は私と全く同じ条件で、下位者との差を20ポイントほど上回った点差で迎えた。そして、最終戦は完勝に近い形で締めくくった。
私は今期、僅か500点の差で降級ポジションにいる。
それは、降級になったのではなく、なるべくしてなったものである。
ただそれは、1年間を通しての重い500点差であることは論を待たないところではある。
私はまた一から出直し、という言葉をあまり信じてはいない。
というのは、勝つべきところを取りこぼした人間に、また一からなどというのは都合の良すぎる話だと思っているからだ。もしくはマイナスからのスタートだと思っている。
前回は自分に呆れ果てていたが、今回は不思議と悔しいという気持ちが沸いてこない。
それは、やるべくことをやらずして訪れた敗北に他ならないからである。
逆に、麻雀ほど誠実で正直なゲームは無いとさえ思っている。
そして、その麻雀に関わっていくなかで、必然とも呼ぶべき打牌をしていきたいと思う。
その分だけ勝ち負けはあるが、ともかく自分で自分自身を嫌にならないような麻雀を打っていきたいものである。
私に残された時間は、あまりにも少なすぎるのだから。
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