第96回『サバキの神髄②』 荒 正義
2014年12月16日
②人のサバキ
「点」と「点」をつないで「線」のサバキができたら、次の課題は「人」である。
「人」とは相手であり対戦者だ。人をサバクには相手の打ち筋を見極め、色分けしておくことが肝心である。
麻雀の打ち筋は大きく分けると程度の差こそあれ、次の3種類。
1・攻撃型
2・バランス型
3・守備型
攻め麻雀の典型プロは、山井弘と1年前までの佐々木寿人である。
2人の攻めは強烈である。攻めで相手の手を曲げ(潰し)させ、アガリを拾いツキを奪って一気に主導権を握るのだ。
守備型の代表格にはA2に復帰を果たした藤原隆弘と現・鳳凰の藤崎智がいる。
藤崎本人は「違う」というが、こちらが受ける印象は「攻め」よりやはり「受け」である。
ただ彼の場合、受けから攻めの切り返しが速い。そして読みの精度が高くアガリの打点が高い。だから手強いのだ。
攻撃と守備その中道を行くのが対応のバランス型である。いわば攻めと守りの好いところ取りである。
滝沢和典がそうだし、多彩な「技」で相手をほんろうする沢崎誠もそうだ。
タイトルコレクターの瀬戸熊直樹・前原雄大も攻撃型に近いバランス型である。私もそうだ。
打ち手の7割はこのバランス型に属する。これが色分けである。
*ヒサトに1年前と注釈をつけたのは、今は「守り」を取り入れてバランス型にシフトチェンジしているからである。
言葉の説明では分りづらいため、牌姿で示そう。
開局早々の東1局に親からリーチが入る。
??ドラ
この時、西家の手がこうだ。
??ツモ
このときドラであろうがを叩き切る。危険度はもも大差がない。競技ルールならヤミテンで、一発・裏有りのルールなら即リーチだ。
ツモって裏一なら跳満になる、と考える。もちろん、ドラのを取りに行くときはか切りの追いかけリーチだ。即断即決、すぐに勝負と前に出る。これが攻撃型である。
守備型はを切っての様子見である。開局なら運も勢いも手探りだから、ここで勝負の判断は急がない。
ここで親満を打てばこの半荘はもとより、今日1日の戦いが苦しくなる。これが守備型の考えだ。
さらに、この手にはまだ変化の余地があるのだ。例えばこうだ。
この手ならマチと打点は十分だし、反撃はそれからでも遅くはない。これが守備型の考えである。
では、バランス型の場合はどうだろう。
押し引きの判断は、相手と自分の勢いで決める。勢いとはツキ状態であり運量である。
しかしこの場合、開局したばかりで判断基準がない。だからそのときの直感と気分で決める。
を切ることもあれば切りもある。
今日は固くいこうと決めたならで、勝ちに行くと思ったならば切りである。
もちろんか切りのリーチもある。勝ちに行こうとすれば危険度が高くなり、固く打てば勝率が下がるのは百も承知である。
バランス型は態勢が決まるまで流動的で、他の型より打牌の選択肢が多くなるのだ。
しかし、どの型であろうと応手が変わらぬときがある。
西家の手がこの手の場合だ。
??ツモ
ピンズが一路左によれば受けが広がる複合メンツだ。これなら打牌は安全で柔らかいで、1シャンテン戻しとなる。攻撃型も恐らくそうだ。
ここまでが、型の分類と打ち方の違いである。これができたら「サバキ」は次の段階に進むことが可能だ。
同じく開局したばかりの東1局。攻撃型の親(山井かヒサト)から7巡目にリーチが入る。
??ドラ
この時、西家の自分の手がこうである。
手牌はメンタンピン形でドラにも対応できる手だ。うまく決まれば678の三色がある。
当然、闘志満々である。満貫の1シャンテンになったら無筋でも1牌は勝負だ。
なぜなら親が攻撃型の場合、マチと打点が不十分でもリーチをかけてくるケースが多いからだ。
不十分でも攻めで相手を降ろし、流局でも親権確保でOKが攻撃型の考えだ。
そしてツモったら望外の利と、笑うことだろう。
そう易々と思惑通りには打たせるわけにはいかない。だから前に出る。もちろん、親が本手のときも稀にある。
「どっちなのか、見ようじゃないか!」の気分だ。
これが戦いであり勝負なのだ。
しかしこの時、南家の藤崎か滝沢からスッとが切られた場合は話が別である。
受けのしっかりした者が、親のリーチに一発で無筋を通すからにはそれなりの理由があるのだ。
打点も十分だしマチもいい。ヤミテンなら親の現物も危ない。
怖いのは親よりむしろ南家の方である。私ならそう考える。
したがって、次のツモがドラのでない限り、撤退して2人の勝負の行く末を見守る。
そして問題は、結果が出たこの後の構えである。
打ち合えば、アガった方をマークする。戦うなら負けた方とやるのが賢明である。
相手は傷を負っている分、態勢はこちらが有利だ。
相手の型を見、流れを見て戦う相手を決める。これが「人」のサバキである。
点と線。そして人と流れを見る。これでようやくサバキにふくらみが出て、立体形となるのだ。
しかし、まだ二合目の途中経過に過ぎない。
文中敬称略、以下次号。
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