第40期王位戦 決勝観戦記 後編 前原 雄大
2015年01月05日
4回戦(起家から清原、五十嵐、荒、矢島)
東1局、東家、清原配牌
ドラ
この牌姿から清原はマンズ1面子を払い切り、アガリこそかなわなかったが、最終形をこの形まで持って行った。
ポン チー ドラ
なかなかに大きな構えに私には映った。
東2局、南家、荒手牌
ツモ ドラ
荒はノータイムで打とある意味自然な構えを見せた。
「メンゼンの荒ちゃん」と、最近森山会長が呼ぶように、荒自身もその部分には拘っていた。
ならば打の選択もあったように私は見ていた。
実戦では、荒がツモでテンパイが入る。
仮に荒が5巡目に打と構えていたら、
このテンパイが入る。
当然の如く、荒はリーチを打っていただろう。
荒捨牌
恐らく、この河になっていただろう。
その時点での清原の手牌。
清原には荒の受け牌が1枚もないのである。
清原捨牌
実際は、全く別の形で荒のアガリで収束するのであるが、もし荒が今局かわし手ではなく、勝負手を意識していたならば、清原のの放銃で終わっていたように思える。
今局は大きな1つの分岐点だったように思えてならない。
■清原の愚直力
その後、場は小場で進み、南1局を迎えた。
親の清原に大物手、しかも特大の化け物手がわずか6巡目に入る。
ツモ
捨牌
清原は静かに卓上にを置き、ヤミテンに構えた。
私ならば自分の河との相関関係と現時点でのトータルラスというポジション、出アガリ時の順位点を考えて問題なくリーチを打つ。
勿論、リーチを打つことが唯一の正解とは思ってはいない。私はそうするというだけの事である。
結果は、清原のドラであるのツモアガり。
ツモ
「ツモ。8.000オール。」
静かな、そして重い発声が卓上に響き渡った。
清原のアガリ手を見た、荒の独特の笑顔と五十嵐の目を丸く大きく見開き、清原のアガリ手を見つめ続ける表情が印象的であった。
仮にリーチを打っていれば12,000オールだった。
相手に与えるインパクト、衝撃波は、王位戦のような短期戦では、リーグ戦などの長期戦とは違い、一撃で勝負は決まると私は考えている。
それにしても大きな、大きなアガリであることには相違ない。
ただ、この事はあくまでも結果論にしか過ぎず、当の清原はその部分も全て織り込んだ上でヤミテンを選択したのだと思われる。
なんにしろ清原は、全5戦を通じ、
フーロ回数3回
リーチ回数2回
アガリ回数7回
と、愚直なまでに己のフォームに拘ったものと推察される。
そして清原は、3人沈みにするとともに、トータルトップに躍り出て4回戦を終了した。
4回戦について、後日清原はこう述べている。
「食事をとり、気持ちをリフレッシュさせようとしましたが、トップ目から2ラスで最下位に落ちた事実から、なかなか前向きな気持ちにはなれませんでした。自分とトッププロとの差を痛感していました。荒プロ、矢島プロには捌きで勝てる気はしないので、本手を決める方針で行こうと決めました。印象に残っているのは東1局、好配牌、思いきってチンイツに行きましたが、思ったほどツモが効かず、矢島プロに先制リーチを打たれる。その宣言牌のを半ば迷いながら仕掛けました。リーチじゃなければ仕掛けなかった可能性が高かったですが、後がない気持ちから攻めました。結果は、五十嵐プロのアガリ。そこに自分のアガリ牌のが暗刻であること、メンゼンなら別の形のテンパイが入った可能性があること、失敗したと痛感しました。この半荘は南1局に簡単なチンイツをアガってトップに立てましたが、実力の足りない自分が運だけでトップ目に立ち、恥ずかしい気持ちばかりでした。」
4回戦成績
清原+37.6P 荒▲7.1P 矢島▲12.3P 五十嵐▲18.2P
4回戦終了時
清原+20.7P 荒+12.1P 矢島▲3.3P 五十嵐▲29.5P
最終戦(起家から荒、矢島、五十嵐、清原)
東1局、親の荒に5巡目に先行リーチが入る。
ご覧のとおり、荒の待ち牌は4枚山に生きていた。
そこに、荒の現物待ちにもかかわらず、矢島より追撃の追いかけリーチが入る。
13巡目、矢島手牌
リーチ ドラ
これは明確なる矢島の意志の表れと言ってよいリーチである。
2人の挟撃にあったのが、トータルトップを走る清原だった。
清原はノータイムで矢島のロン牌であるをツモ切った。
このアガリは、矢島にとっては望外の大きなアガリであり、清原にとってはやはり大きな負荷のかかる矢島のアガリでもあった。
これで、微差ながらも矢島がトータルトップに立った瞬間である。
そして迎えた南3局。
荒より7巡目にリーチが入る。
荒、手牌。
リーチ ドラ
そして、後が無い五十嵐が最後の親番で荒のロン牌であるを打ち出した。
五十嵐手牌
打 ドラ
「ロン、3,900」
荒の低く、澄みきった声である。
私はこの荒のアガリを見て、正直荒の優勝を疑わなかった。
このアガリで荒と矢島の点差は、7.2ポイント荒が上になってしまった。
Aルールの7.2ポイント差は決勝を経験してみると解ることだが、果てしなく大きい。
また、相手は荒である。こういう局面で逆転された記憶を私は未だ、見た記憶が無い。
荒自身も後にこう語っていた。
「このアガリで優勝は8分方掌中に入れたものだと思っていたヨ。」
ところが現実は小説より奇なりと言うように、相手は矢島ではなく清原だった。
この時点の荒と清原の点差が26.7ポイントである。
オーラス清原に手が入る。
南4局、秀逸だったのは親の清原の4巡目の打である。
打 ドラ
次巡、天の恵みのドラであるツモ。
ここでも清原は秀逸な一打を放つ。
ドラ
打である。
この土壇場の局面で、打と構えられる打ち手が何人いるだろうか。
この打こそ、清原の生命線でもある。愚直力であり、根である。
清原はこの一局に己の全生命を懸けたのである。欲しいのは4,000オールではなく、6,000オールであり、王位である。
出アガリなどまるで望んでいない一打。
そして8巡目、待ち望んでいたが清原の手元に訪れた。
リーチ ドラ
12巡目、裏目と呼ぶべきをツモった瞬間、私は清原の表情を伺った。
そこには全くと言っていいほど、表情の変化は見受けられなかった。
その表情の裏側には、打とした時からツモの可能性を覚悟した男の顔が存在していただけである。
そして男は数巡後、静かに愛でるように卓上にを静かに置いた。
25期に連盟に入会し、6年間耐え忍び最下位リーグとも呼べるD3リーグに所属する清原継光という男が王位の栄冠を勝ち取った瞬間であった。
最終戦成績
矢島+14.1P 清原+4.4P 荒▲4.3P 五十嵐▲14.2P
最終戦終了時
清原+25.1P 矢島+10.8P 荒+7.8P 五十嵐▲43.7P
「今回、運よく初タイトルをとることができましたが、スタートラインに立ったばかりだと思います。重い扉がやっと少しギシリと音がした程度だと思っていますので、全ては今後の自分にかかっていると感じています。僕は手組みのスピードが遅く後手をとるので、自分の読みを生かして後手から攻め返すことができなければ通用しません。そして、決勝の舞台では読みに自信がないと怖くて何も打ち出せなくなることを痛感しました。その怖さを克服するためにも、自分の読みの精度を上げること、様々な技術の精度を上げることの必要性を痛感しました。精進します。」
私は清原に勝因を尋ねるとこう答えた。
「勝因と言われるととても難しいです。自分としては敗北に近いものを実感してたので、たまたまな勝利という感じが強いです。特にオーラスで荒プロが打ったは強烈で、荒プロが優勝すべき瞬間でした。数日経った今でこそなおさら、あの局面で勝負してくる荒プロの凄さをより実感しています。強いて言えば、僕は最後は腹をくくって負けを覚悟していた。オーラスは、目の前の損得ではなく、自分の存在を賭けるような麻雀を打てました。「負けて悔いなし」そんな気持ちが心の片隅にありました。そんな気持ちが麻雀の女神に気に入られたのか、最期の最期に僕に微笑んでくれました。
『素直に今ある未熟な自分をぶつけることができたこと』
そんな開き直りが麻雀の女神の目に止まった。そういう気がします。
勝因と言うには抽象的すぎるかもしれませんが、ただただ愚直に麻雀と向き合えたことが、結果につながったのかな?などと考えています。」
全対局終了後、私と荒正義さんとインタビューを兼ねて清原君を打ち上げの席に誘った。
清原は王位という栄冠を勝ち取ったことよりも、荒正義という打ち手と戦えたことを至福の喜びだと語っていた。
そして自分のような弱い男が、王位になったことを恥じるように詫び続けていた。
荒さんは幾度となく詫び続ける清原に満面の笑みでこう告げた。
「あなたが勝ったことに対して胸を張ってくれないと、負けた私はどうすればいいんだ。」
シャイな荒さんらしい祝福の言葉であった。
実は二十年ほど前、私が初の鳳凰の栄冠を手にしたときも、清原と同様申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
あの時も荒さんは河岸を何度も変え、翌日の昼まで飲み明かし私の勝利を祝って下さった。
そしてその時も荒さんは勝利を衒(てら)う私を励ますように叱ってくださった。
その時の光景が清原君を祝う酒の中で頭の中をフラッシュバックさせていた。
小さな居酒屋に清原君を祝いたいという友人達が集った。
皆が皆、清原君の不器用さと謙虚さを祝う良い宴だった。
■Be Strong
私も家に帰り、清原継光という男がなぜ王位を獲得したのか考えてみた。
やはり皆と同じように、彼の勝因は天運と、己の弱さを知り尽くした鈍感力、どこまでも頭を下げ続けられる、根にあると思う。
言葉を変えるならば、愚直力、誠実さと言ってもいい。
そこに多くの友人たちは彼に魅かれ、勝利の女神までも魅かれたのだろう。
強い打ち手なぞ存在しないと私は思っている。
強く在ろうとする打ち手と、どこかでその事を忘れてしまう打ち手が存在するだけだと私は考える。
私は常々思っていることがある。
運の扉というものがあるとしたならば、その扉は叩き続けていくと徐々に開かれていくものではなく、それでも諦める事なく開かない扉を叩き続けていくとある日突然開くものだと考えている。
清原継光君、おめでとう。
あなたは王位という名の運の扉を君の力で開けたのだよ。
どうか今の気持ちを忘れず、また次なる運の扉を開けて欲しいと切に願うばかりである。
最後に、度重なるインタビューに答えてくださった4名の選手の皆様には心より御礼申し上げる。
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