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第97回『サバキの神髄③流れの認識』 荒 正義

麻雀は卓上だけが戦いのすべてではない。
勝つために大事なのは、日常の「技」と「勝負の感性」の鍛錬にある。
そして体作りも大事。なぜなら思考の源は体力だからである。

こうしてプロは、最高の集中力を内に秘め卓上に座る。ここまでが勝負の7割を占める。
したがって、卓上の勝負の度合は残りの3割と見るのが妥当。
しかし実戦では鍛錬を積み、技も勝負の感性も相手より勝っているのになぜか負けるときがある。

10日間戦って6日勝っても4日の負けだ。トータルでは2日分の勝ちだ。
それでも相当だが、私にはいつも疑問が残った。

「なぜ、もっと勝てないのだ―」

これが1975年、私が24歳のときである。
腕はまだでも強さはあったはずだ。

前年、私は麻雀専門誌「近代麻雀」で幸運にも第1期『新人王』を獲得。
これは、年間半荘100回打つリーグ戦である。
近代麻雀は今の劇画誌ではなく、活字媒体の月刊誌だ(今は廃刊)。

そして、この年の春は第5期『王位』を獲った。
今と比べればタイトル戦が5分の1にも満たない時代である。ラッキーだった。
プロも名の知られた者は小島・灘を筆頭に五指に満たなかった。

当然、プロ団体も無かった。
プロの冠は、世間に名が知られているかどうかで雑誌社が勝手に決めていたのである。
新人に至ってはもっと適当だった。これが当時の麻雀界の時代的背景である。

現在はプロ団体の試験に合格し、半年間の研修(連盟では三次試験)をパスしたらプロと認定されるのが慣例。
ただし、それで食えるかどうかは別問題で、後は本人の能力である。

話を前に戻そう。10日打って2日の勝ちだ。
これでは、一流になれても超一流にはなれないと思った。
もっと勝率を伸ばすためにはどうしたらいいのか、毎日がその探究だった。
そして、たどり着いた先が、未開の境地『運』の解明とそのサバキだった。

人は「運」を「ツキ」とも云うが、ツキは運の部分にすぎない。
「流れ」もそうだ。ツキより比重は大きく運に近いがそれもすべてではない。
運はもっと広く大きく未知のものだ。

さらに運は、打ち手が好むと好まぬにかかわらず、服にまとわりつく糸屑のように絡みつく。
勝負の明暗を決める大事な場面でも、顔を覗かせ水を差す。
だが運は、形のある物体でないから見えないのだ。
しかし「流れ」を知り、それを極めればもっと「運」の正体とそのサバキに近づくはずである。
これがその年の盛夏で、私は25歳になっていた。

そして5年が過ぎた。

この間に日本プロ麻雀連盟が設立し、強者が集まった。
森山茂和、伊藤優孝、故・安藤満、古川孝次(順不同)。
若手では前原雄大、沢崎誠たちである。この時の連盟はいわば「梁山泊」のようだった。

私たちが目指したものは、小島・灘の背中であり、麻雀の「華麗さ」と「強さ」である。
しかし、強さを求めたらやがてぶつかるのは「運」の壁だ。
この壁を乗り越えなければ超一流にはなれない、誰もがそう思った。

こうして皆がそれぞれ「流れ」に向き合い始めたのである。
流れなくして麻雀は語れる道理がないのだ。

流れと運が顕著に表れた最近の対局は、第31期鳳凰戦のプロリーグ第9節である。
これは稀に見る打撃戦となり、名勝負として後世に残るであろう。
対局者は親から順に望月・ともたけ・瀬戸熊・沢崎。
ここまでの持ち点は次の通り。

瀬戸熊直樹  +173.4P
ともたけ雅晴 +92.5P
沢崎誠    +2.6P
望月雅継   ▲81.6P

プロリーグは年間半荘40回戦の勝負だ。
上位3名が決定戦進出となり、下位2名が降級しA2に回る。
A1は12名だが、A2は16名の戦いである。

単に数字だけを見るなら、A2からA1に昇級できる確率は8年に一度である。
落ちたらいつ返り咲けるかわからない。

したがって、A1の対局者の心理の一番が降級逃れである。
これだけは何としても避けなければならない。次が鳳凰決定戦進出で、残留はその次の順番となる。

リーグは終盤にかかり残り半荘8回だ。
この持ち点なら安定感のある瀬戸熊は9割確定。
ともたけは有利だが微妙な位置だ。
3番手通過のボーダーは通常、浮きの70Pが目安。
この日、浮けば決定戦進出可能だが大きく沈むと途端に暗雲が立ち込めることになる。

多彩な技を持つ沢崎は残留ラインだが、相手は油断できない。
沢崎のその勝気な性格から、虎視眈々と+70Pを目指していると思わねばならないからだ。
一方、大きく沈んだ望月は、現状10番手だがこの日沈めば11位の柴田と最終日の決戦で一騎打ちとなる。
それだけは何としても避けたいはずだ。

これが対局者4人の今の心理状態である。
打ち手はそれぞれ相手の心理状態を頭に入れて対局に臨む必要がある。
なぜなら、打ち手はその置かれた状況と立場で構えと打牌の強さが変わるからだ。
そこを見逃してならない。

これが前回述べた「人のサバキ」の要領である。

東1局は13巡目、親の望月からリーチがかかる。

一万 上向き発九索 上向き八索 上向き二万 上向き二索 上向き
五索 上向き五索 上向き三筒 上向き七索 上向き九索 上向き北
中

このリーチにともたけが九筒をノータイムでツモ切る。
望月の手が開いた。

六万七万八万三索四索五索一筒一筒七筒八筒白白白  リーチ  ロン九筒  ドラ四万

プロリーグは、一発裏無しの競技ルールだから3,900止まりだ。
この時、望月と瀬戸熊、沢崎は、ともたけに何を感じたかである。おそらくこうだ。
(状況的には90ポイントの浮きなら、親のリーチに向かうはずがない。何かの壁で通りそうだったのか。それとも、オリなしの手でヤツも張っていたのか…)
これが、ともたけに対する読みである。その通り、ともたけの手はドラの四万を固めた勝負手だった。

三万四万四万四万五万六万八万三索四索五索五筒六筒七筒

河に六万が2枚飛び、受けの七万は生牌で好いマチに見えた。
捨て牌から相手のマチを当てることを「読み」というが、それは常識であって読みではない。
状況に合わせて相手の心の動きを透視する、これが真の読みである。
相手の心の動きがわかれば次の行動も予測可能で、ここにサバキの余地がある。

それはともかく、ここにわずかながら流れができたことも事実だ。
やや好調なのは望月で、やや不調がともたけ。もちろん小さな流れなら、すぐに向きが変わることがある。

だが、次の望月の攻めは要注意である。
しかし、ともたけが相手なら少し戦って見るかの気分だ。
これが沢崎と瀬戸熊の次からの対応である。

だが、先に仕掛けたのは北家の沢崎だった。
発八索を鳴いて8巡目でこの仕上がり。

四索五索五索六索六索白白  ポン八索 上向き八索 左向き八索 上向き  ポン発発発  ドラ三万

沢崎の河
九万 上向き二筒 上向き六筒 上向き六万 上向き四万 上向き二万 上向き
二索 上向き一索 上向き 

ソーズの河で余っているからテンパイは明白。
なのに、望月が五索を強打した。これをポンして打四索

六索六索白白  ポン五索 上向き五索 上向き五索 左向き  ポン八索 上向き八索 左向き八索 上向き  ポン発発発

出アガリ3,900なら固くアガれそうだったが、沢崎はこれを拒否し一気に安めで満貫、高めで跳満を取りに向かったのである。
ところが、この後も望月は手の内から生牌の七索を強打する。
五索七索もロンの声がかかってもおかしくない牌だ。次に沢崎が中をツモ切ると、望月がこれをポン。

彼の河はこうだ。

一索 上向き九筒 上向き八筒 上向き五筒 上向き九万 上向き発
八筒 上向き西七索 上向き二筒 上向き南 

一見、マンズが高く見えるがどうだろう。

二万三万三万四万四万五万五万六万北北  ポン中中中  ドラ三万

なるほど、これなら強行突破も頷ける。
この時点で沢崎のロン牌の白は河に1枚切られている。
ともたけの手に白六索が1枚ずつあるから、残りは六索が1枚限りだ。

比べて、望月のロン牌は山ほどある。だが次に来たのがドラの三万

二万三万三万四万四万五万五万六万北北  ポン中中中  ツモ三万

打牌の選択は二万三万六万の3通り。
迷う手だが、望月は間を取らずに六万切りを選択。
この打牌の速さに、彼の日常の鍛錬の備えが垣間見える。

受けの広さならドラの三万切りだが、ここは一気に親の跳満で決めようというのだ。

二万三万三万三万四万四万五万五万北北  ポン中中中

他の2人は完全撤退。ならば2人のめくり勝負だ。
六索はたった1枚。比べて一万四万は山にゴロゴロ残っているから、これで勝負があったかに見えた。
解説の滝沢も、望月の勝ちを確信していた。ただ、問題は沢崎が一万を掴んだとき止められるかどうかだ。

だがそれも束の間、望月の河に六索が打たれて愕然。
滝沢からも驚きの声が上がった。

六索がともたけか瀬戸熊に行けば出ることはない。
そうなれば望月の一人旅だ。おそらく放銃がなくても引いていたに違いない。

「なのに、なぜ?」
瀬戸熊もともたけも、望月の手がここまでの形とは思っていなかったはずだ。
六索がラス牌と知っているのはともたけだけだ。望月は何事もなかったように手牌を伏せた。

これが「運」のいたずらである。
しかし、ここで「流れ」の方向が見えたのも確かである。

以下次号。