プロ雀士インタビュー

第166回:プロ雀士インタビュー 伊藤 優孝  インタビュアー:紺野 真太郎

伊藤優孝、言わずと知れた「死神の優」ニックネームからも見て取れるように、強面キャラで、知らない者から見れば怖そうであるが、そんな事は全くない。話してみると話題豊富で相手を飽きさせない。最近では連盟チャンネルでの対局後の「5回戦」を楽しみにされている方も多いようだ。

伊藤とは私が連盟入会以来親しくさせていただいている。元々最強戦(第3期最強位)や、漫画などでファンであったことを考えれば不思議に思える。

男が惚れる漢。そんな伊藤優孝の魅力を少しでもお伝え出来たら幸いである。

 

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紺「麻雀を始めたきっかけは何だったのですか?」

当たり障りのない質問だが、漠然としていて答える方は難しい。多分、私にインタビュアーの資質は無い。

「俺たちが子供の頃は・・」

雑な質問にも丁寧に答え始めた伊藤。しかし、麻雀が出てくるのはしばらく先になるとはこの時は思いもしなかった・・

「1学年60人のクラスが15組もあってだな・・」

団塊の世代というやつらしい。私たちの世代も団塊ジュニアと呼ばれた世代であるから、その感じはなんとなくわかる。

「とにかく、何事も競争なんだよ。勉強はもちろん、恋愛も部活もその先の就職なんかも。」

 

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「そんな中、勉強はまあまあ出来た方で、いつも大体クラスで2.3番目、学年でも20番くらいにはいた。」

「ほんとは弁護士になりたかったんだ。」

伊藤が弁護士?そんな話は初耳であった。

「大学も法学部だし、クラスでは真面目組でつるんでいたから。でも、ある事があって、いわゆる不良グループとつるむようになって。また、あの頃はそういうのがカッコよく思えてな。」

「結局、もっと上のランクの大学の法学部に行きたかったけど、付属高校のエスカレーターでその大学の法学部に入ったんだ。」

「とはいえ、それなりじゃないとエスカレーターとはいえ入れないがな。」

ほとんど何でも話してくれる伊藤であるが、不良グループとつるむきっかけとなった「ある事」だけは言葉を濁した。当時の伊藤少年にとってよほどの事があった事は想像出来る。

「で、大学に入ってボクシングを・・」

ボクシング?これも初耳だ。

「まあ、これは少し笑い話なんだけど、当時ボクシングが好きで仲間と後楽園ホールなんかに観に行ったりしてたんだ。そして入学式の時に熱心に誘われて・・」

紺「それでボクシング部に?」

「いや、部じゃないんだ、こっちはボクシング愛好会っていうから、みんなで楽しみながら、一緒に観戦に行ったりするのかなと。同期の友達にも誘われたから入ることにしたんだ」

紺「そうしたら・・(笑)」

「もう思いっきり「部」なんだよ・・」

紺「(笑)」

「練習もロードワークやスパーリングもやらされて・・終われば今度は「酒」を教えられて・・」

確かまだ未成年だったはずだが・・まあ、さすがに時効であろう。

それにしても麻雀はいつから始めるのだろうか・・質問は「麻雀を始めたきっかけ」であったはずだ・・油断をするとすぐ横道にそれる・・ここまで書いた話も相当カットしている・・

「当時は学生運動が盛んでな・・」

話が新章に入った。

「学校へ行っても休講、休講で時間ばっかり余ってな。それで大学近くの雀荘に入り浸るようになっていったんだ」

待ってました。本題です。

「同じ大学の奴らと最初はやって、物足りなくなって色々行くようになってだな・・」

センスと根性が回りとはモノが違ったということだろうか。「死神の優」誕生の瞬間といったところであろうか。

「当時はボウリングも流行っててよくやっていた。そうこうしているうちにそこの専属のプロボーラーとも仲良くなって、麻雀に誘われるようになって・・」

紺「学生とは違う大人の世界に入っていくわけですね。」

「まあそういうことだな。同じ頃知り合いのおばさんから雀荘をやってみないかと誘われてな。両親もいい顔しないから断りたかったけど、押し切られてやることになったんだ。」

歳はまだ20歳そこそこである。時代と言ってしまえばそうなのかも知れないが、かなり大人びて見える。

「店は今で言うセット雀荘でな。学生で連日満卓・・まあ忙しかったよ。それでも、学生は夜8時頃には引くから、そこからは自分で打ったり、飲んだりで。若かったから無茶してたけど、ろくに日に当たらない、酒ばっかで栄養は取らない、寝ないとくれば結果は見えてるよな。」

バイタリティー溢れる行動力である。しかし・・

「さすがに無理がたたって倒れてな。命に別状はなかったけど親にこっ酷く叱られて、結局2年くらいで辞めた。」

「同じ頃の話だけど、雨の日に仲間と麻雀の約束をしてたんだ。遅れそうになってバイクで飛ばしてたんだけど、タクシーが急に幅寄せしてきて・・」

「タクシーにドーンとぶつかってバイクごとふっとばされたよ。不思議なもので、ああいう時はスローモーションで映像が流れていくんだよな。今でも頭上をゆっくり飛んでいったバイクの光景をはっきり覚えているよ。」

「タクシーの運転手が顔面蒼白で降りてきて、様子を伺ってきたんだ。バイクは右側のハンドルがポッキリ折れてたけど、体は興奮してたからか何ともなかったから、待ち合わせもあったし、面倒くさかったから、運転手が差し出してきた、確か5000円だかをもらって麻雀にいっちゃったよ」

「そしたら、次の日になってから右半身に痛みが出てきて・・」

「また両親に叱られたよ・・」

「腰も打ってたようで、腰は今でもガクンって抜けたようになることがある。だからツモる時、卓に左手をついて支えにしながらツモるのはそういう過去があってなんだよ。」

紺「そんな生活を続けてきて大学は?」

「ちゃんと卒業したよ。単位の計算を間違えて2単位足りなくて、半年余計にかかったけどな・・」

紺「大学卒業後は?」

「親の関係で就職も決まっていたんだけど、結局いかなかった。しばらくは麻雀ばっかりやってたよ。」

「でも27、8の頃かな。結婚することになって、就職することになったんだがな。」

就職をしたものの、連盟設立と同時に参加し、麻雀プロの道に入っていった伊藤。もちろん事情があってのことだが、ここでは触れないでおこうと思う。

 

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紺「そういえば、優孝さんとも色々なところへ行きましたね。」

「そうだな。最初に行ったのはマカオの麻雀大会だったかな。」

紺「そうですね。香港、マカオ、シンガポール、韓国と。今年はラスベガスも行きます。」

「ラスベガスか。もう20回以上行ってるけど、グランドキャニオンにはまだ行ったことがないから今回は行くつもりだよ。」

紺「グランドキャニオンいいですね。ぜひお供させてください。ラスベガスといえば優孝さんはあの9.11の時にラスベガスにいらっしゃったとか・・」

「あの時は藤原(藤原隆弘)と知人と行ったんだけど、急にあんなことになってな。」

「まるで映画の中にいるようでな。空港は封鎖されて、いつ動けるかわからなかったし、ラスベガスが狙われるなんて噂が流れたりしてな。」

「何日かして、日本行きの飛行機が飛ぶことになって、朝一番で空港へ行ったが長蛇の列で。そんな中で藤原のヤローは俺に荷物番させて、あいつは・・・・(藤原さんの名誉のために自粛)」

紺「(大爆笑)」

紺「優孝さんが動くと何か起こりますね。(笑)」

「今までも4回ほど死ぬかと思ったことがあるけどな。」

紺「まさに死神ですね(笑)」

 

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「仲間とプーケットに行った時のことだけど、みんなで水上スキーを借りて遊んでいたんだが、夢中で乗ってるうちに仲間とはぐれてしまったんだ。」

「必死で仲間を捜して走り回ったけど、周りは同じような島ばかりで、いつまでたっても見つからない。2時間のレンタルだったから、ガソリンもそんなに残ってないし、時計を見たらそろそろ2時間。心細くなってきて、このまま遭難するのかなって・・」

「その時、元いた島には塔のようなものが建っていたのを思いだして。島の上の方を見て探したら、それっぽいのが・・」

「近づいていったら、人影が見えてきて、それが仲間達だったんだ。あの時は助かったーと本当に安堵したよ。」

他にも「高速道路でスピン」「スキーで崖へダイブ」「高波の中のヨット」という珠玉のネタ・・もとい、お話を持っている優孝さん。ぜひライブで聞いて頂きたいものである。

紺「普段はどんな事をして過ごしているのですか?」

「そうだな。まずは犬の散歩だろ。(チェリーという名のチワワ。人懐っこくてかわいい)麻雀格闘倶楽部にロン2、連盟チャンネルで対局をチェックして空いた時間は歴史もののDVDを見たり、なんだかんだ忙しいんだよ。」

 

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紺「羨ましいです(笑)」

「もうこんな時間か。もう聞きたいことは無いか?」

食事をしながら話を聞き、更に電話でお話させていただいた。気が付くと既に深夜2時を回っていた。

「最初は俺らの世代がいなくなったら連盟はどうなるのかと思っていたけど、ようやく3.40代が育ってきてくれた。今は頼もしく思うよ。だから今度はお前たちがもっと下の世代を育てて、連盟を続けていってくれればと思うよ。」

最後に聞いたこの言葉が一番大事なことなのかなと思う。そしてそうしていくことが恩返しになるのかなと思う。

 

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