上級/第72回『思考する力』
2012年12月19日
世の中の生活が便利になると脳が退化するという。
確かにうなずける部分が私の中にもある。
例えば携帯電話。私などは自分の番号くらいしか知らない。
昔、20代のころは手帳なども持ち歩かず、それでも、友人達に電話していた。
つまりは、友人達の電話番号などは覚えていたということなのだろう。
今、プロテストや研修で、条件計算などが課題としてあるのだが、
できる人はできるようになるのが速いが、いつまでもできない人も少なくはない。
1つには点数表示機能の存在もあると思う。
これが世の中に出現して久しいのだが、出る前はどうだったか。
私は相手全員の持ち点は覚えてはいなかった。
決勝などは2人の相手を覚えれば充分なものである。
東1局から、相手の点差を計算しながらやれば良いだけの事である。
それでも、時折、困ることもあった。
トータルポイントのラス者が、南場に入り4,000オール、6,000は6,100オールなどと、
親番で積み始めた場合である。
そんな時は、東1局からのアガリを思い出しながらやるわけである。
連盟が創設された折りの毎月の対局は昇降制で、トップをとれば1つ上位の卓で戦える、
また、ラスをとれば1つ下位の卓で戦わねばならなかった。
きちんと相手との点差を把握しておかねば麻雀にならない。
必然的に条件計算には強くなるわけであり、数字に強くない私などは、
慣れるまでは自宅でも勉強した記憶がある。
面倒臭いように思われるが、要は慣れであって対局に対する集中力には、さほど影響はなかったように思う。
これらのことも、携帯電話の番号を覚えることと同じで、
便利になった分、考えるちからを養わなくなったように思えてならない。
図の手牌は佐々木寿人のもので、ロン2ブログに本人が記している。
勉強会の一コマで、実戦ではこの牌姿からリーチを打ちで出アガリしている。
親番でもあり3,900点の収入では少しもったいない気もする。
次局に移ろうとした時、観戦していた私がヒサトに言った。
「6巡目の打牌はどうなんだろう?」
ツモ ドラ
ヒサトはここから打としている。
正着打とは言い難いものの、あながち間違いだということはない。
これが、麻雀を覚え、巷で勝っている打ち手クラスだと、誤打と断定する打ち手も決して少なくはないだろう。
多分、3年ほど前のヒサトならば、打ではなく打と構えていたように思う。
そして、テンパイすれば全てリーチを打っていたように思う。
それが、ツモ、ツモであってもだ。
今、ヒサトの麻雀のテーマは、門前では強い形と打点である。
その観点からすると、ツモだけは拒否したい処なのだろう。
だから、打と構えたくなる。
では、なぜヒサトはツモを拒否する打ち手になったのだろうか。
それは麻雀プロとしてスタートしたときの意識が、最近の受験生と違うからだと思う。
生業として麻雀プロの道を選んだのである。
生業として選んだ以上、毎日麻雀を打っているか、考えているかの日々だったはずである。
本人は退化などと受け止めたようだが、そうではなく、間違いなく進化の過程なのである。
苦しんで、考える日々が打を選ばせたのだろう。
私も遠い昔、初めて鳳凰戦の決勝に敗れた時、次の年のプロリーグを全て2飜縛りで打ったことがある。
ある恩師にそのことを口にしたとき、あまり良い返事をいただけなかったが、
小島武夫プロは大いにやるべしとの後押しをしてくださった。
私としては、2飜縛りで降級しなかったら、自信がつく様な気がしただけである。
この年はかろうじて残留することが叶い、翌年、初めての鳳凰位に就くことができた。
鳳凰位に就くことが出来たのは、たまたまの結果だと今は言い切れる。
話が横に逸れたが、、ヒサトは対局が終わった後も、1人図の手牌のことを考え込んでいた風情だった。
「森山さんだったら、どうしますかね?」
ヒサトが私に問うているときに森山さんが現れた。
「これは、もう打しかないでしょ。
ツモと来た以上、そのツモの意味を考えないとね、三暗刻もあるし」
森山さんの言葉である。
この言葉の中に麻雀の本質があるように思える。
ツモってきた牌の意味を考える___これも思考する力の大事な部分である。
牌の来た意味を考え、牌が行きたがっている方向へ切り出して行けば良いだけのことのように私には思える。
実戦でのこの牌姿の進行は、ツモときてツモ切り、次はツモとなった。
つまりヒサトは、実戦の譜より先にアガリがあったわけだ。
ツモ ドラ
麻雀が教えてくれることは、人と戦う術だけではない。
麻雀を考え、己を磨き、己を活かし、
そして、己自身を考え、見つけること___今はそう思えてならない。
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