第79回『心と対話』
2013年07月10日
201307中級講座:佐々木寿人
「心と対話」
今年も私の十段戦が終わった。しかも酷い負け方で。
レポートにもあったように、2回戦終了時、私のポイントはプラスの35P。
他の3者は全てマイナスである。
残り2戦ということと、勝ち上がりが2人であることを考えれば、ほぼ当確と言ってもいいくらいの条件だ。
マイナスしている3者は遮二無二前に出てこざるを得ないだろうし、ぶつかり合うなら静観という選択肢もある分、先攻した者はそれだけ有利なのである。
迎えた3回戦南2局、私の点棒は31,100。
中盤、親のリーチを受けた南家の私の手はこうなった。
ツモ ドラ
「捕まえてしまったか。」
麻雀とはほとほと難しいゲームである。
この局の序盤、私はカンのターツを払いわざわざカンの受けを残した。
当時はまだピンズの形がであるから、普通はかを払ってマンズには手を掛けないところである。
ツモ
にもかかわらず、敢えてマンズを払ったのは、親の2巡目にが切られていたからである。
親から早いリーチが入れば、で2巡は凌げるという算段があってのものだ。
ツモが効けばアガリには向かうが、どちらかと言えば対応の手組みである。
だが、のらりくらりやっている内にリーチを受け、カンが埋まった。
はリーチの安全牌であるから、当然これは切る。問題はどこまで突っ込むかである。
長いスパンで戦うリーグ戦なら悩む必要はない。自分の好調さを意識して、最後までぶつけに行く。
しかし、十段戦のようなトーナメントでこの姿勢を貫く必要性があるかと問われれば、答えは否である。
断トツで通過することに全く意味はなく、4回戦という括りでただ上位2名に入ればよい戦いだからである。
そして何より重要なのは、ここまでのポイント状況だ。
私はこの3回戦でも2着目をキープしており、リスクを負ってまで戦う局面ではないのである。
さて、実戦の経過は親が一発目をツモ切り、私のもとにがやってくる。
全くの無スジである。止めるならここしかない。
というのは、これにブレーキが掛からなければ止める瞬間を逸するからである。
このを勝負するのに、次の危険牌で止めるというのは支離滅裂というものだ。
様々な思いが交錯する中、結局私はこのをツモ切った。
ここを制すれば最終戦がグッと楽になる、という気持ちが何より勝ってしまったのだ。
結果として、このはロン牌にはならなかった。ならなかったが、私の胸の内は複雑だった。
「危ういな。」
先にも記した通りこの方法論を取ったなら、よほど状況が変わらない限りは真っ直ぐ行ったきりとなる。
全くもって危うい限りだ。
私は次巡もをツモ切り。これも当然当たっておかしくない牌である。
だが幸いと言うべきかお声は掛からない。すると同巡、西家の切ったに北家が動き、と晒す。
ここが突っ込んでくるなら、という思いも若干あったが、3者競りの状況でそこまでの精度があるかどうかは半信半疑である。
親を通過して私に流れてきたのは、安全牌。ならば今度は北家の動向を窺うことになる。
ここでよほど強い牌が出てきたり、ノータイムでのツモ切り(これも種類によるが)などなんらかのアクションがあった場合は、撤退という選択肢も出てくる。
しかし、実際は少考の後の切りだった。
無論と振り変わった可能性もあるが、私の目にはほぼ後退の一手のように見えた。
これを加味してどう戦うか。しかし、私の思考力は既に停止状態だった。
リーチを受けてからの打牌も流れ作業である。
もちろん全ての打牌に放銃の覚悟を持ってはいるが、大局を見据えていないことだけは明らかだった。
「ロン。11,600。」
3スジ目のがついに捕まった。
「何年同じことを繰り返すんだ!」
後悔しても後の祭りである。だが、それでもやはりこう思う。
麻雀は自分の心といかに対話ができるかだと。
私自身、攻守のバランスが上手く取れているときはこれができている。
心のブレーキペダルと言ってもいいかもしれない。
逆に、無様な負け方をするときは、気が先走って不用意な失点を重ねてしまっている。
言わば目先の損得に走っているということだ。
私はこれでまた1年間をムダにした。
反省は猿でもできるが、その代償はあまりに大きいものだった。
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