上級/第102回『サバキの神髄⑧ 受けのサバキ』 荒 正義
2015年07月22日
猫が寝ている。4匹の家猫である。
中には小さな寝息を立てている者もいる。そっと近づくと、顔は寝ているが三角の耳がレーダーのようにこちら側に向く。撫でると薄目を開けこちらを見る。家人と確認すると、また寝る。
人は天井に腹を向けて寝るが、動物の大半はうつ伏せで寝る。これは外敵から身を守るため、という話がある。確かに襲われたとき、逃げるときも反撃もうつ伏せが有利だ。しかし、猫も犬も腹を見せて寝るときがある。それは周りが安全と確信している場合だ。これが防衛本能である。
麻雀にもこれがある。いうならば卓上は戦場で、四角いジャングルである。
それはグランプリMAX(2015年)・決勝3回戦のときだった。
場面は、東1局2本場で瀬戸熊の親番である。決勝は8回戦のスプリント戦だ。これまでの持ち点と成績は次の通りだ。
瀬戸熊(東家) | 荒 | 吾妻 | 藤崎 | |
---|---|---|---|---|
東1局2本場 | 35.4P | 28.5P | 31.5P | 24.5P |
2回戦までの成績 | (+24.2P) | (+6.6P) | (▲3.9P) | (▲26.9P) |
この日、数字が示す通り流れが好調なのが瀬戸熊。不調が藤崎だった。
だが、この半荘を入れて残り6戦である。もちろん、まだ勝負は分らない。このとき私の手は、8巡目でこうだ。ドラはである。
ここで私は、上家の瀬戸熊の打牌にチーテンをかけた。鳴いてもシャンポンの愚形で、駄作のテンパイである。
一発、裏無しのAルールでこの鳴きはない。動けば、負ける鳴きである。相手にリーチが入ったらもう行けない。相手が親で、ドラを掴めば万事休すだ。
だが私は、本能で鳴いたのだ。これが猫の耳と同じ、守りの本能だ。考えて鳴いたのではない。直感で動いた、瞬間のひらめきである。
その理由は3つある。
1つ目は、3回戦までのトップ走者が瀬戸熊であること。彼は今、打ち盛りで一番強い時期にある。それでなくても強いのだ。彼が最下位でも、上はマクリがいつ飛んで来るか心配である。なのに、今はトップ走者だ。これが一番目の理由である。
2つ目は、親が2本場で止まっていることだ。浮きは少ないが、怖いのはこの後である。嵐の前の静けさで、猛連荘が起きるのはこういう場面だ。これは、親が瀬戸熊でなくても起きうる現象である。
そして、3番目の理由が親の瀬戸熊の捨て牌である。
一見、国士無双の河に見えるが、そうでないとしたなら異常である。彼の打牌の音色はいつもと違うし、指先に力が入っていた。これはもう緊急事態である。
だから、体が勝手に反応したのだ。そしてすぐにを引いた。
??チー??ツモ
このアガリに、私は手応えを感じていた。
普通ならチーテンの後、時間がかかりかを引き3、4巡過ぎて両面になってからアガるものだ。
その間に相手の攻めが飛んでくる。無筋を掴めば、行くべきか引くべきか迷う。それが普通。なのに、チーテンの即ツモである。相手に反撃の狼煙(のろし)を与えないこのアガリは、私の経験値から点は低いが価値あるアガリなのだ。
家に帰り、後でタイムシフトを見て驚いた。このとき瀬戸熊の手は、ここまで仕上がっていたのだ。
この時点では山に2枚生きていた。仮にそのを引けばこうである。
親の四暗刻タンキで、一発で決められる可能性があったのだ。
は河に1枚出ていた。仕掛けた吾妻の現物だしはドラで生牌(ションパイで)ある。どちらに受けるか難しい選択である。
このとき、解説の佐々木寿人は、で待つだろうと予測した。注意が吾妻に向けばはノーマークになるからだ。ヒサトもそう受けるに違いない。
後日、このことを瀬戸熊に尋ねると、彼はきっぱりと言った。
「切りリーチです!」
??リーチ
この手を最終形と見て、リーチでドラと心中するというのだ。私はそれを聴いて(瀬戸熊らしい決断力だな…)と思った。
リーチならが山深く眠っていたら場合、相手をオロして引き当てる可能性がある。
私なら切りのヤミテンだ。場が煮詰まっている。それならテンパイした者からドラでもポロリと出てくる可能性がある。それを狙う。
それがダメなら待ち替えである。もちろん、これらの選択に善悪はない。
ヒサトも瀬戸熊も、そして私もそれが打ち手のカラーで雀風なのだ。卓上では、色々な光がぶつかって反発、反射する。だから、勝負に幅ができて面白いのだ。
この半荘には、もう1つの山があった。
南1局1本場。またしても瀬戸熊の親番である。
瀬戸熊 | 荒 | 吾妻 | 藤崎 |
---|---|---|---|
32.4P | 23.7P | 45.7P | 18.2P |
これが、ここまでの持ち点である。私は、いいアガリした割には点棒が伸びなかった。逆に伸びたのは女流の吾妻だ。だが、それはいいとしよう。
この勝負、私が負けるときは、瀬戸熊に優勝されるときだ。本当にそう思っていた。だから、今の私にとって大事なのは、瀬戸熊の距離間だけなのだ。
だが、局面は意外な動きした。ドラはである。4巡目に西家の吾妻が2枚目のを切ると、これを藤崎が下りポン。彼の河は平凡である。
私は反射的に彼の顔を見た。彼は、私を避けるかのように横を向いた。目を合わせようとしないのだ。
なぜだ、と思った。こんなとき怖いのは、藤崎の風牌のドラのである。だがそのもすぐに吾妻から切られ、瀬戸熊からも切られた。となれば残った手役はトイトイで、危険なのは役牌である。
だが、藤崎は北家である。北家は親の上家、だからここで遠い仕掛けのトイトイ志向は不可解に映る。脇のツモを飛ばし親のツモを増やすからだ。
我々の目標は、一番手を走る瀬戸熊なのである。それは藤崎も承知のはずだ。それでも鳴いたのは、それだけ藤崎が追い込まれているということなのか―。
視線を外したのはそれなのか。そうだ、きっとそれに違いない!
このとき、親の瀬戸熊から気配が出た。それは殺気に近かった。
(さっきは許したが、もう許さんぞ!)である。
ここで離されたら万事休す。またしても、警戒警報発令である。
この後、藤崎の手から?が手から出て来た。
このとき私の手はこうだ。
??ツモ
瀬戸熊の親は蹴らねばならない。千点でいいのだ。しかし、戦いたいが戦えない手だ。
安全牌は山ほどあったが、ここでようやく危険な初物のを切った。藤崎の援護射撃だ。
こういうは、早過ぎてもいけないし遅すぎてもいけない。早いと鳴けない場合があるし、遅いと当たる可能性があるからだ。これに藤崎がポンの声。
??ポン??ポン
すると案の定、とたんに瀬戸熊からリーチがかかった。
(瀬戸熊の手)
??リーチ
そして2巡後、先にロン牌を掴んだのが瀬戸熊だった。それが。
断然有利な瀬戸熊が、めくり勝負でたった1枚のに負けたのだ。
の鳴きとこの切りは『受けのサバキ』である。自分を守るための防御本能だ。
ただし、聞くのは簡単だが使うのは難しい。
大事なのは、勝負の感性と読みの精度だ。読みは力で、感性はレーダーである。これは日常に鍛錬で、ピカピカに磨いておく必要がある。
これが猫の耳である。
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