上級/第103回『サバキの神髄⑨サバキの心―その①』 荒 正義
2015年08月18日
麻雀は「技」の鍛錬も大事だが、同時に「心」も磨かなければならない。
読みの精度高め、揺れない「心」つくる。これ、すなわち不動の精神力である。
それはプロリーグ第4節・1回戦のことだった。
ここまで(2015年)、私は出だし不調で陥落候補の位置にある。
前節は絶好調の前原とぶつかり、その日だけで失点は▲70Pオーバーだ。
しかし、この時点で残り7節(28回戦)あるから、今の順位はあくまで途中経過に過ぎないと考えることもできる。
しかし、油断はできない。不調者はリーグ戦が終盤なると底なし沼に足を取られ、身動きが取れなくなるのだ。
手は岩のように動かず、策を弄して動いても逆に反撃の逆襲を食らう。
側は、競りの相手に楽に打たせないのは当然である。そして、じわじわと迫る陥落の危機。これが降級のパターンである。
麻雀をなめてはいけないのだ。相手に敵意を持つなど言語道断。この道(麻雀)を志すなら、向き合うのは人ではなく麻雀である。
そして求めるのは、麻雀の真理と技の鍛錬である。これが王道である。
座順は出親が沢崎で、順に荒・仁平・勝又の並び。
私が、ここでマークするのはやっぱり沢崎誠である。彼は経験が豊かだし、技も多彩で爆発力がある。麻雀をよく知っている男なのだ。
私と彼とは33年間の戦いがある。だから私は、面倒な沢崎の親は早く蹴るようにしている。風が向こうに吹いたら、一ハン落としても親落としだ。これが沢崎対策である。
これは瀬戸熊、前原相手でも同じである。
ところが、私の緻密な対策も、一発の花火で吹っ飛んだ。
東3局の9巡目、私の手がこうだ。親は仁平で、ドラはである。
ツモ ドラ
やっとドラを重ね、打点ができた。ここで私はを切り、役をとタンヤオの両テンビンかけた。が出たらポンで、ならチーして切りである。
ところがこのとき、気になっていたのが親の仁平の河だ。
仁平は、実直でその性格は真面目な三角定規のような男である。
(なのに、その河はなんだ。まるでピンズの染め手ではないか―)
ともたけならまだしも、仁平にしては珍しい河だった。
だが次の瞬間、仁平がツモ牌のを打ちつけた。
ツモ
開かれてびっくり、ピンズではなくマンズの染め手だったのである。
これで6,000オール。これが夜空に舞った大きな花火だ。
4巡目と8巡目のと 切りに、この日の仁平の好調さが見える。
ここから一転して私のマークは、沢崎から仁平に変わる。これが臨機応変である。
次局は1,000・2,000のツモアガリで、私が仁平の親を落とす。ここで私が考えていることは、仁平を捲ることではない。目標は原点復帰だ。
ここからトップを狙うのは「欲」である。「欲」は打牌を荒くし、相手に反撃のチャンスを与える。だからここは原点復帰である。
そのあと、上を見るか下を見るかは流れ(展開)次第だ。これが、正しいサバキの思考法である。
この時点で、4人の持ち手はこうである。
沢崎(出親)20,900 荒26,300 仁平45,900 勝又26,900
東4局も私のアガリ。
6巡目にテンパイ一番乗りしたのは、親の勝又だった。
ドラ
入り目が絶好のドラのの重なりで手応えがある。しかし、マチのは河に2枚出ていた。
一見、苦しい受けに見えるがそうではない。この牌姿は変化形だから、マチが動くのだ。を引けばこうだ。
ドラ引きでもこう。
リーチで、こんな手を打たされてはかなわない。このとき、私の手はこうだった。
ツモ
ここから仕掛け、を勝又から打ちとって2,600のアガリ。
チー ポン ロン
これで持ち点を28,900とし、原点復帰まであと一歩である。
もちろんこのとき、勝又に勝負手が入っていたことなど、私は知る由もない。
勝又は滝沢(和典)と同じくポーカーフェイスだ。勝負の最中、その感情を表に出すことはない。
続く南1局6巡目、私の手はこうだ。ドラはである。
ツモ 打
ここで私は一瞬迷ったが上家のに合わさず、手の内にを残しを切った。
理由は二度のアガリで手に勢いが付き、手が軽くなったからである。
伸ばせる手はとことん伸ばす。これが私の流儀だ。
このあと引きもあれば、そのものを引く場合もあるのだ。ところがその途端に、勝又からリーチがかかる。
が手出しは見ていた。ここで辺チャン外しは、手が速い証拠だ。
次がで、この有効牌も早い。そして6巡目のリーチ。ここまで早い攻めが飛んで来るとは思わなかった。
(それなら、より安全なを残すべきだったか…)
と思った。
勝又の視線を素早く見た。その顔はいつもの通り無表情だが、黒い目の奥に若干の殺気が見えた。
殺気は手の高さに通じる。そして、流れるような手つきも怪しい。彼はいつも決断力が早く、牌さばきも鮮やかだ。
(だが、鮮やかすぎやしまいか―)
どんな打ち手でも、カンチャンやシャンポン待ちのときは一瞬の間ができる。それがないのは、受けがしっかりしている証拠なのだ。
だとしたなら、要注意だ。これが、私の読みと感性である。
私の手はツモがで、こうなった。
ツモ
この手ならメンタンピンとイーペコで、満貫が見えるから切りでいい。普通ならそうだ。
しかし私は今、陥落候補の危険水域にいる。打っても仕方がないでは済まされないのだ。
だから現物の切りである。オリたわけではない、取りあえずの様子見である。
このあとツモがならこうだ。
の重なりでもこうである。
反撃の可能性は残してあるのだ。
勝又の、待ちの好さと高さは読めても何の待ちかは分らない。
ただしは通ると見る。この時点で、親の沢崎の河がこうだ。
の2丁切りの後に、勝又の切りである。彼は勝負手だから受け広く構えるはずだ。
それなら3面チャンか特別な事情でない限り、からのの先切りはないと考えるのが精度のある読みである。
このあと筋のを掴み、私はオリに回った。結果は流局で、勝又の手はこうだった。
なんとは、高めで満貫のロン牌だったのである。
これは私の立場と状況判断が止めた牌である。麻雀の勝負はこの積み重ねにあるのだ。
年に10回止めたら80P助かるのだ。順位点を含めたらもっと100Pは超えるかも知れない。
しかし、この半荘の先には、まだ大きな落とし穴が待っていた。
そのとき、私を襲った不幸と、大事な「心」の持ち方は次に述べる。
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