第139回『勝負の感性⑨~麻雀の品格~』 荒 正義
2018年12月19日
○許す心
麻雀は、決められたルールを守って打つなら、何を切ろうと打ち手の自由である。その打牌に、制限を加えてはならない。その場の批判も駄目である。例えばこうだ。
東1局、開始早々の親のリーチ。
ドラ()
ここに若者が一発でドラの切り。若いだけに怖いもの知らずで、勇敢である。しかし、これが一発でズドンと命中。
親の跳満、18,000点である。このとき、南家の若者の手はこうだった。
ツモ
若者は山越なら、すぐに出ると踏んだのかもしれない。親のリーチを蹴れば、この後、いい流れを掴めると思ったかもしれない。問題は、このを暴牌と呼ぶか、それとも勝負牌と呼ぶかだ。
普通なら1,000点の手で親のリーチに一発でドラを打つことはない。当たれば親満覚悟(この場合は跳満)だ。1,000点と12,000点の争いでは、理屈に合わないのが物の道理である。南家の安めのツモにも、勢いのなさを感じる。だから打たない。
ここはで回って、話はそれからである。南家の最終形がこれなら、無筋の一牌でも勝負の価値はある。
なぜなら、南家の手は打点が十分に育ったからである。したがって、さっきの切りは暴牌である。脇の2人は唖然となる。
「何やっているンだ!」
となるが、我慢だ。言葉に出してはいけない。
南家は点棒を落としたが、運も落としたはずである。この半荘は、南家はラスが濃厚。だが、麻雀には『流れ』があるからこれだけで終わらない。この日の南家の着順がこれだ。
④④③④③着。
急転直下である。沈みが、もうどうにも止まらない。南家はたった一発の暴牌で、この日一日の麻雀を駄目にしたのだ。ベテランは、この展開を恐れるからは打たないのだ。
しかし、この切りを非難してはならない。一番こたえているのは、打った南家なのだ。西家と北家は(トップは遠のいたが、ラスも遠のいた…)と、プラス思考で考えることが大事。今回は親が得をしたが、次は自分が得をする番かも知れないのだ。ならば、このくらいの暴牌は許容の範疇である。
麻雀は自分には厳しく、相手には寛容であること。許す心持つ、これが麻雀の品格の第一歩なのだ。
○してはいけないこと
・一発を消すな
6巡目に、親からリーチがかかった。
ドラ
場面は東3局で、点棒の動きは少ない。ルールは一発・裏ありのWRCルールである。この時、南家の手が止まった。南家の手はこうだ。
そして「チー」の発声。で鳴いて、切りである。
この時点では、もソーズも切れない。だからオリ。オリなら一発を消す方が得、と考えたに違いない。しかし、この鳴きは品がない。
麻雀は生き物だ。このあと手牌がどう変化するか分らない。面前で進め安全牌を切っているだけで、こう変化することもあるのだ。
この手なら、無筋でも一牌は勝負する価値がある。一発を消してオリることは、この可能性を捨てたことになる。一発ツモは偶然の産物だ。そこに気を取られ、手牌を殺してはいけない。親の手は、一発を消しても消さなくても満貫の場合があるのだ。
実戦の結果はもっとひどかった。流局間際、南家の手がこうだ。
チー
完全な手詰まり。ここからの後筋のを切ったら、親からロンの声。
早い三色の仕上がりで12,000点。この鳴きは、プロなら失格である。プロでなくてもフリーの雀荘で多用すれば、品がないと相手に嫌われて「ラス半!」コールがかかるだろう。一発を消してオリでは、粘りがなく麻雀の上達は望めない。
してはならないことは、まだある。それは1回戦で、東2局のことだった。
点棒の動きはまだ少ない。12巡目、親からリーチが入った。
ドラ
16巡目、北家がを切ると南家がポン。そして切りである。どうやら、南家はソーズの染め手だ。ハイテイ前、そこに西家が切り。このは、南家には強い牌だ。どうやら南家も西家もテンパイだ。このとき北家の手はこうだった。
このままでは、1人でノーテンが濃厚。しかし鳴いてテンパイを取れば、ハイテイが親に回ることになる。迷った末に、北家が「チー」と云って切り。そのとたんに親が、ツモ牌をパチンと引き寄せた。
ツモ
裏は無かったが、6,000点オールだ。ことあと親は気を良くして大トップの3連勝。これが、してはならない鳴きである。
テンパイを取って、リーチ者にハイテイを回すのは危険な行為だ。しかも、相手は親。まだ勝負は始まったばかりで、山あり谷ありだ。ここで、3,000点惜しんでなんになる。比べて、親がハイテイで引き当てたら断然有利である。ドラ1で4,000点オールだ。無いはずの1局が、北家の鳴きで生まれたのである。
してもいい鳴きはある。
東4局。16巡目に南家にリーチが入った。
ドラ
場に動きがなかったから、一発と次巡のハイテイは南家だ。16巡目、北家からが出た。このとき親の手はこうだった。
親は、生牌(ションパイ)のドラのが打てずにオリていたのである。この場面の一発とハイテイずらしのの鳴きは、正しい応手だ。リーチ者に、一発とハイテイの二役を献上することはない。それが、みんなの幸せである。前の一発消しと、どう違うか。親の手は、もう復活の目がない点にある。だから鳴く。あと2巡、満貫や跳満の親っかぶりをしてはたまらない。
この場合の一発とハイテイずらしは打ち手の常識で、暗黙の了解事項なのである。
○好かれる打ち手になる
麻雀は勝負だから、誰だって勝ちたい。勝つなら、勝ち組より負け組とやる方がいいに決まっている。
麻雀には運があるから、格下でも勝てる日がある。しかし、長期戦なら格上が勝つのが常識。1日、半荘5回戦。これなら格下が勝つ日もある。しかしそれが10日間で50回戦となれば、力の差が出てやっぱり勝つのは格上である。
だから、勝ち組は少数だが相手に避けられる。しかし中には、勝ち組なのに好かれる打ち手もいる。
1回戦の東1局、若者の親からリーチがかかった。
ドラ
このとき、対面の社長の手が止まった。2人は初対戦だった。
ツモ
社長は上機嫌だった。昨日は大きい契約が決まった。今日はその自分へのご褒美で、麻雀三昧の日にしたのだ。は初物。直線的に攻めるならこれだが、一発で打てば親満覚悟だ。オリルなら簡単だ、現物を抜けばいい。しかし、それもイマイチだからとを切った。そしたら、親からロンの声。
「高目か、あちゃー!」と社長が言った。そして続けて言った。
「いい待ちだな」
「たまたまです、ありがとうございます」
本当にたまたまなのだ。3巡目、若者の手はこうだった。
ツモ
ここからを切ったら、5巡目のツモがだったのである。
ありがとうございますと云われて、社長は悪い気がしなかった。
社長が若者を気に入ったことは、まだあった。2回戦目、社長がリーチをかけて気合いを入れて一発目をツモると、牌が抜けて腹にあたって床に転がった。社長が拾おうとすると、若者の動き方が早かった。
「拾います!」
といって拾うと、丁寧にテッシュで拭いて社長の手元に伏せて置いたのである。
この日、若者と社長の戦いは6回戦だった。若者が格上なのか、1人勝ちの状態だった。若者が麻雀のプロだと知ったのはこの後だ。この日から社長は、来るときは事前に電話をして来るようになった。
若者が居たら駆けつけたし、居ないときは寂しそうに電話切って来なかった。
これが、勝っても好かれる打ち手である。負けても凛として、麻雀に対する姿勢がいいのだ。これなら誰だって好感を持つはずだ。
麻雀に強さは大事だが、品格はもっと大事なのだ。
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