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第86回『~自己管理~』

自分が喜ぶのがアマチュアであり、人を喜ばすのがプロである。
先日終わった鳳凰戦で流れていた、鳳凰戦に向けてのインタビュー動画で、瀬戸熊直樹さんが早朝に走り込んでいる映像がある。その姿が私にはとても眩しく感じた。

数年前、あるタイトル戦の決勝で、惜しいところで敗れ去った若手プロがいた。
私も観戦に出向き、その後の打ち上げにも参加した。
その若者は、瀬戸熊さんを慕っており、敗因や意見を求めていた。
「長い目でみたら、今回は負けた方が良かったと思える時が来るよ」
瀬戸熊さんはそう言った。

そして2次会への誘いを丁寧に断り、私と一緒に帰路に着いた。
道中、瀬戸熊さんに尋ねた。
「2次会くらい付き合ってあげても良かったのでは?」
「それも考えなかったわけではなかったのですが、ロン2のゴールドクラスをキープするためには、今日ロン2をやっておかないと、打荘数が足りなくなる可能性があるんですよ。彼を慰めたり相談はいつでものれますしね」と、瀬戸熊さんはそう答えた。

確かに、その頃のロン2リーグは今よりも開催時間が短く、月末近くなると、条件を満たしたユーザーは参加せず卓が立ちにくかった。アスリートの如く対局に備え、自分の身体を鍛え上げるのもプロとしての自己管理能力であり、慕う後輩の誘いを断りロン2に向かうのも、プロとしての大切な自己管理能力に他ならないのである。

もしかしたら、瀬戸熊さんは慕う後輩に独りで考える時間を与えたかったのかもしれない。
独りで考える時間、苦しい、そしてやるせないない時間が人を育てることを知っているのだろう。
言葉を変えるならば、孤独が人を成長させるということなのだろう。

私達の世界はある意味、楽をしようとすれば何処までも楽は出来る。
誰からも、ああしろ、こうしろとは言われない。それだけ、自分を律していくことは困難な分だけ、自分の置かれた環境を作って行くことが肝心になっていく。

細かいことを記せば、現在、プロ連盟ではインフルエンザの予防接種が決められている。
それは、自分への予防ということもあるが、対局者、会場にいる全員に迷惑がかからないようにとの配慮からだ。

対局が映像になった今、1人の欠場者のためスタッフを始め、多くの関係者に迷惑がかかるわけである。
自分のことしか考えられない人間は、一流になれないというのは言うまでもないことである。
下位のリーグに所属している者ほど、インフルエンザの予防接種を受けていないのは、悲しいことだが現実である。

逆に、勉強会などに積極的に参加している者は、言わずともマスクをこの季節身に着けている。
風邪を引いているわけではない。自分の身を守るためである。
これも1つの自己管理能力である。

連盟内で歩く速度が速いのは、私の知っている限りでは、前会長である灘麻太郎さんと森山茂和現会長である。
医者に訊いたところ、速く歩くことは身体にも良いが脳にも善いそうである。
お2人が、意識して速く歩くことを心掛けているのかは不明ではあるが、このことも1つの能力であることには間違いない。

私なども偉そうなことは言えない。
何時に寝ても、必ず朝の7時過ぎには目が覚めてしまう。
そのまま起きて庭の掃除をすることもあるのだが、本を読んだり、テレビを観たりすると、二度寝をしてしまうことがある。そうなると1日の生活がめちゃくちゃになることがある。
特にこの季節、寒いということもあって、外に出るのが億劫になってしまう。
このことも、プロ意識の欠如に他ならない。やはり、太陽の陽を浴びることは大切なことである。

一昨年の冬に、生まれて初めて禁煙を試みた。
きっかけは、ヒサトに「百害あって一利なし」と言われたこともあるが、定期的に通っている医者から人間ドックを薦められ、受けたところ現段階では問題ないが、煙草に因る血栓の可能性があると診断されたからである。

その禁煙も4ヶ月で挫折した。
酒場でも麻雀でも大丈夫だったのだが、原稿に行き詰ると煙草が欲しくなった。
しかし、これも言い訳に過ぎない。

 

【プロテスト】

もう間もなくプロテストが始まる。
ここ数年、基本的な問題しか当連盟は出していない。
パズルのような問題や、時事問題、タイトルホルダーの名前などは出さない。
それは雀力には何も関係ないからである。

麻雀の常識的な知識があれば、100点満点ならば平均点が80点は採れる問題しか出していない。
特別な才能は必要ない。要は勉強すれば誰でも解ける問題ばかりである。

実戦にしても、リアルの麻雀を日々誠実に向き合えば良いだけのことである。
プロと一般の違いの1つは、成りたがる人と成るべく人がいることだと私は考える。
そして一般の人は、出来る範囲で頑張れば良いと思う。

プロ、もしくはプロを目指す者は出来るまで頑張るべき、私はそう考えている。
麻雀の基本にしても何に対しても、一番大切なことは大きな目標とそこに向かう明確な方法論、そして全てに通ずるのは自己管理能力だと考える。

先日の勉強会でのこと、山井弘が親番で、

七万九万九万一索二索三索四索五索六索七索八索九索八筒八筒

この形から打七万のリーチを打ち九をツモアガった。
九万もありかと考えていた私は、山井に尋ねた。

「下家の前巡の打六万が、六万八万八万からの打六万に映ったからです」

確かに、山井の言葉通り、下家の打六万六万八万八万の形からの六万だった。
続く1本場、好調を示すがごとく、3巡目にして山井の手牌は膨らみを増していた。

六万八万八万三索四索一筒二筒三筒南南発発発  ドラ一万

この手牌が全く動かない。
対面から、七巡目に八万が打ち出されるも当然ながら仕掛けない。
そして13巡目に至りまた、対面から八万が打ち出されるも山井は微動だにしない。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」

私の目には、上家が絞っていた南を、10巡目に重ねたのが見えていたから、余計そう思ったのかも知れない。
そう話している次巡、当たり前のように七万を引き込み山井は「リーチ」。
そして、次巡五索をツモアガった。
「凄いね」
「前原さんに学んだことです」

お世辞半分だろうが、今の私には正直2枚目の八万を仕掛けないという自信はない。
好調を意識したならば、動かないのはある意味セオリーである。
ただ、大切なのはそこに殉ずれるかどうかである。

自分の思考、意識の自己管理である。
麻雀が強くなるためには麻雀だけでなく、ある意味生活、暮らし向きの自己管理が大部分を占めていると私は考える。また一方で、麻雀は娯楽に過ぎないとの考えも併せ持っている。
遊びといっても差し支えないように思う。
遊びの語源は、明日の光が変化してそう呼ぶようになったという説もある。

1年以上にも及ぶ長い期間、私の拙文におつきあい下さりありがとうございました。
心より感謝しております。
それでは雀運の向上を祈って。