第90回『場に合わせた自然』と 『態勢的な自然』
2014年06月16日
今章は自然論の続き。
「場に合わせた自然」と「態勢的な自然」について。
前章の最後に書いた切りの続き。
切りは速度と打点のバランスの「効率的な自然」の打牌と記した。
このに親の佐々木が123でチーを入れて打。
前巡に、ドラのを切っていることから、テンパイと読むのが妥当だと思われる。
問題は待ちではなく、打点。
捨て牌から、ホンイツの可能性はほぼないと言えるだろう。
もしある場合、が孤立牌という事はなく、などのターツ選択から外された可能性が高いので、テンパイでなく現状は1シャンテンということになる。
見えてない役牌はだけで、後付けより暗刻の可能性がかなり高い。
仮にトイツだった場合、ドラはテンパイまで切らないことが多くなり、単騎選択ができる牌姿ではないと言える。
一応、
???
このような形からの待ち変えの単騎はあるが、愚形が残ることも多い上に、打点を放棄することになるので考えにくい。
私がこの仕掛けを入れられた時に、パッと頭の中に浮かんだ牌姿は、
??
??
皆さんはどういう牌姿を思い浮かべるだろうか?
実際との牌姿との成否はともかく、パッと頭に出る人の方が雀力は上だろう。
そこから、あらゆる牌姿の可能性を追求していくのである。
この局面でドラが見えていなかったり、誰かが一色手のテンパイが入っていそうだと感じたならば、私は好みではないので、この形から仕掛けることはないけれども、それはそれで1局ということだ。
どちらにせよ、相手の仕掛けに打点が無いと判断し、ここは自分のアガリを目指すことにした。
次巡、私の選択は打。理由は単純明快。
が全て見えてしまい、ソーズのイーペーコーの可能性がなくなったから。
マンズの下はイーペーコーにはならないものの、若干場に安く、アガリが近いと感じたのである。
結果は、次巡を引き入れ、リーチで安いながらもツモアガリ。
宣言牌のは、佐々木に対してかなりの危険牌で、放銃の可能性も充分に考えられた。
実際の佐々木の仕掛けた時の牌姿は、
巡目も深くなり、親番維持を考えるなら普通の仕掛けと言えるだろう。
この半荘終了後のインタビューで、は三色だと思って止めたのか?
と質問を受けたが、何も考えていなかった。
というより、考える必要がなかったという方が正しいだろう。
ここまでは「場に合わせた自然」の攻めの部分を重点的に書いてきた。
これは「エネルギー論」の時に使った牌姿だが、ここの打は、場況的には打ってはいけない牌だとお伝えした。
少なくともテンパイはしていないと駄目であろう。
ここで仮に打とし、放銃してしまった時に、とても勿体無い。
場に不釣合いな打牌をしてしまった挙句に放銃というのは「場に合わせた自然」に反する行為と思うべきである。
受けの部分は非常に大事な部分になる。
まだ大丈夫だろうと切ったり、アガリたいだけの打牌をするようでは、いつまで経っても強くならない。
私は相手の雀力を見極める時はここを、1番の評価基準にしている。
Aルールのリーグ戦は、どうしても手役絡みの打点力が目立ちやすいところではあるが、不必要な放銃をしてくれる相手はやりやすいし怖さを感じない。
今、Aリーグの配信がされているが、AⅠとAⅡの差はそこにあると観ずる。
AⅡの対局は見比べるとやや淡白に映ってしまう。
本来ならば次章は「態勢的な自然」を紹介するのだが、「態勢論の打ち方」と内容が被ってしまう為、その時に書きたいと思う。
次章は「態勢論の考え方」です。
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