第95回『サバキの神髄』 荒 正義
2014年11月20日
① 点と線
通常、サバキとは相手のチャンス手を安手で蹴る打ち方をいう。
開局早々の東場で、流れも運も手探り状態のとき親からリーチがかかる。
(親の河)
この時、南家の手牌がこうだ。
ドラ
ここでチーテンに構えて現物のを狙い、親の攻めを交わそうとする、これがサバキである。
しかし、打ち方は人それぞれである。親が高い手とは限らない。
自分は面前で進めれば(234)の三色があるからと、踏ん張って鳴かない人もいる。
正々堂々と渡り合う。と
で決まれば高打点だし、この後の戦いは有利に運べると考える。
前者のチーテン組が8割としたなら、後者の面前組は2割か。
ただ私が思うに、後者は負け組である。
では、チーテンが勝ち組かというとそうではない。問題は鳴いた後の戦い方にあるのだ。
チーテンにかけたらマチは現物だしめくり勝負でオール突っ張り、これは負け組である。
無筋を掴んだら、すぐに国際安全牌のを切り手仕舞いにかかる。これもやはり負け組である。
押しても負けるし引いても負ける、それが麻雀である。
大事なのは、押し引きのバランスとその精度なのだ。
私のサバキはこうだ。まず親の手の推理である。
親は勝負手と見る。一発・裏ドラ麻雀なら、打てば親満は覚悟だ。
その理由は3巡目の切りにある。
ドラそばのが速く切られるときは、ドラを固定する
からの
切りがある。これが第一候補。次が、
からのドラ受けに対応する、好牌先打の
切りがある。これが第二候補。
ここでを切るからには、他のメンツが好形で構成されていることを意味する。
したがって、この場合も親の手は早いし高いと見るのが正しい読みだ。
「単なる浮き牌の場合もある」こう反論する人も居るだろう。
いやそれはありえない。を残して次に
を引けばドラ受けに対応できるから
は
や
より後に切られるはずである。これが親の手に対する私の推理だ。
したがってここは緊急事態だ。
この手は親からテンパイ宣言が入った以上、不自由な三色など狙っている場合ではない。
だからチーテンに取る。
ソバテンで危険牌のを使いこなし、現物の
で張るなら十分と見る。
ソバテンとは最終打牌をまたぐマチのことである。
では、親の危険牌とは何か。ドラのはシャンポン待ちがあるからもちろん切らない。
親の捨て牌からソーズのと
の裏筋となる
も切らない。
そして、ソバテンで一度使いこなしたの筋も切らない。
ここを掴めばすみやかにオリに廻る。
ソバテンならも同じく危険という人もいる。しかし、親の河には
と
がある。
この時、私の頭に真っ先に浮かぶのは、このメンツである。
ここからの不要牌整理の手順を踏めば、親の河にはが自然に間隔を置きながら並ぶことになる。だから
マチより
が本線と考える。
また、親はすでに仮テンでの形のときもある。
ここにを引き、両面の好形となっての
切りリーチもあるから、
は危険牌の範疇に入る。
ここまでが瞬間に感じる読みである。
無筋はとマンズの
~
だが(
は切るし、他のソーズも切る )、これを切るか切らないかは、私は盲牌の感触で決める。嫌な予感がしたときはすみやかにオリ、感じなければ勝負と前に出る。
盲牌の感触とは、人の五感を使った予知能力である。使えるものは何でも使うのが、私の流儀なのだ。
ただしこの感性は、精度を高めるために日常の鍛錬で磨いておく必要がある。
親が3巡目にを切ったとき何を感じたかが大事で、後は瞬間の判断と決断だ。
ここまでが「点」のサバキである。
※ただこの時、親と南家の共通の安全牌があるのに出来たメンツの中からを抜いて来る打ち手は要注意だ。親の勝負手とサバキ手の両方を透視していたから、その打ち手は一流である。
ルールが違えばサバキも変わる。
ある日の研究会(*一発、裏ドラなしの競技ルール)。
1回戦の東1局は、私が出親でリーチをかけた。この時、下家の女流が追いかけリーチをかけてきて、私から満貫をアガった。私はいい手だったが、運は美人に味方したのである。
私はリーチ棒を入れて9,000点の失点をし、そして次の局である。
8巡目、私(北家)にテンパイが入った。
ツモ
ドラ
は南家と北家の河に1枚ずつ切られ、ドラの
は初物である。
一目は浮きやすくよい待ちに見えるが、ドラの指示牌を入れると
が3枚見えているから
は他家にトイツか暗刻で持たれている可能性が大である。
自信はなかったが、失点挽回のためリーチをかけた。
すると、すかさず親の女流が追いかけリーチを打ってきた。
この時、私は8割方…負けを覚悟した。麻雀は流れだ。放銃もアガリも連動するからである。
しかし、奇跡が起こった。3巡後、女流がを掴んだのだ。
研究会では一局終わるごとに手牌を開け、打ち方に疑問があれば聞くことができる。
また先輩は後輩に正しい打ち方を指摘することもある。
この時、開けられた女流の手はこうだった。
この手を見て、相手は唖然となった。滝沢、勝又はA級プロだ。
この手がピンフのノミ手で仕上がった以上、この手はどこまで行ってもサバキ手なのだ。
先制リーチがいて、勢いが大差であってもやっぱりヤミテンである。
そして、ドラを掴んだときだけ回るか、手仕舞いにするのかがこの場面の正しい応手である。
これが点と点をつないだ「線」のサバキである。
当然、その指摘が女流に入る。
彼女は、この手がヤミテンであることは百も承知だった。そして聞いた。
「一発、裏ありルールでもヤミテンですか?」
「いや、その場合は即リーチです」いつも控えめな滝沢が答えた。
ルールによって、サバキ手が攻め手に変化するときがある。この場合の流れがそうだ。
これでも一発で裏が乗れば親満である。
彼女はこの日のすぐ後に、一発、裏ありの試合があった。
調整のため、あえて一発・裏ありを想定し、そう打ったというのだ。
女流は手塚紗掬で、その探究心は流石である。
もちろん、親から先に先制リーチが入っていたなら私は向わない。
勝ち負けが8対2の勝負をするほど愚かではない。
となれば、親が先制リーチならドラのは指をくわえて見るハメになる。
競技ルールでも親が正しいサバキなら、構えはヤミテンだしは止められたことになる。
そうなれば、この一局の結末がどうなっていたか分からない。
を重ねられ反撃を受けたかもしれないし、流局だったかも知れない。
このように、点と点のサバキをつなぎ合わせると一本の線なる。
そうするとサバキにふくらみが出て強さが増すのだ。
だがこれは、サバキのほんの序の口にすぎない。
以下次号
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