リレーエッセィ

リレーエッセィ/第84回:森下剛任

中村毅プロよりバトンを頂きました、中部本部 22期生 森下剛任です。宜しくお願いします。
先日行われた第39期王位戦で優勝し、初タイトルを獲得することができました。
☆自己紹介☆
1984年8月19日生まれ 29歳 獅子座のAB型 火星人プラス 三重県四日市在住
名前 まさと(ゴーニンではありません。w)
あだ名 ゴーニン 呼び方はゴーニンでも大丈夫です。
三重県と名古屋で雀荘を経営しています。
仕事がらもありますが、色々なルールで毎月300回は打ちます。
サラリーマンのときから約10年、麻雀を3日以上やらない日は記憶にありません。w
小学生から野球をしていて、小中ともにピッチャーで3番でした。(長打力はありません)
肩にはちょっと自信があります。(遠投95m)
調子に乗って、三重海星高等学校(当時三重で1番の名門高校)に野球をしに入学しましたが、
部員100人の中で努力の甲斐なくレギュラーにはなれませんでした。
その時のいろいろな経験が私にとって財産になっています。
井の中の蛙でしたねw
☆麻雀との出会い☆
生まれたときから?おばあちゃんの家に麻雀卓があり、正月に親父達が遊んでいるのを見て覚えました。
中学3年生のとき麻雀が流行り、みんなと楽しく遊んでいました。
高校になると、部活が忙しくなりあまり打ってなかったのですが、3年の夏に部活が終わってから、
おばあちゃんの家で麻雀をするか、ゲームセンターで麻雀格闘倶楽部をするかの生活になっていました。
その頃のメンバーに、マスターズをとった樋口新や、高校は違いますが、一学年下のC1の鈴木雄介がいます。
気付けば15人ぐらいのサークルになっていました。
その後、専門学校の近くの雀荘でアルバイトするようになり、中部本部、静岡支部の方に出会い、
いろいろな麻雀の考え方を知り、プロになってもっといろいろな人と麻雀がしたい、タイトル戦に出たい、話を聞いてみたいと思いプロになりました。
【王位戦】
私はプロ8年目になりますが、GⅠタイトルではマスターズのベスト16が最高成績でした。
近年、中部本部から樋口新マスターズ優勝、三戸亮祐十段戦4位、古川孝次グランプリマックス準優勝など、中部の選手が活躍することも目立ってき、特に、高校の同級生でもある樋口のマスターズ決勝戦をその場で見て、嬉しさとくやしさの両方が込み上げてきました。
そんなこともあり、決勝に残って優勝したいと強く思っていました。
本戦 4回戦50,000点条件をクリアし、5回戦終了時、ポイントが+5.0P、ボーダー発表+28.0Pだったので、自分の中のボーダーを+35.0Pぐらいと予想し52,000点のトップを設定したのですが…
オーラス
一万二万三万四万四万五万六万七万八万四索四索六筒七筒八筒
自らが設定した条件をクリアするトップになる為には、満貫ツモでトータル40.0P。
5,200ツモならトータル約+33.0P。2,600ツモなら約30.0P。
考えに考えた選択は、九万が1巡前に打たれていたので、打一万リーチ。
結果、九万万ツモ。やってしまった…
私も思いましたが、観戦していた中部のみんなもやらかした感がハンパなかったですw
しかし、なんとボーダーが下がり(色々なタイトル戦で3年に1回ぐらい?)ギリギリの通過。
翌日のA級決勝、その後の準決勝も通過しました。
準決勝では、はじめてのテレビ対局だったので緊張しましたが、
「見ていたよ」「明日頑張って」という連絡がたくさんきたのでうれしかったです。
決勝戦前夜、初めてのG1決勝、しかもニコニコ生放送、楽しみと緊張、不安でなかなか眠れませんでした。
静岡プロリーグ、プロアマリーグの決勝経験があるのですが、普段通りの麻雀が打てない記憶がありました。
私の麻雀スタイルは、攻撃よりのバランス型のつもりです。
(周りには、高打点攻撃型といわれますが)
とくに、巡目と周りのスピードに合わせて基本面前で戦うスタイルです。
もともと浮き沈みが激しいので、最近はポイントを叩けるチャンスを待ちつつ、原点を意識して麻雀に取り組んでいます。
私をよく知っている人は、プレッシャーに弱いといいます。私自身も課題だと思います。
もともと私の麻雀スタイルは、決勝戦のようなシステムには向いていると思っていました。
なので、決勝に向けての最大の課題は、プレッシャーに負けないことだと。
初の舞台で緊張するとは思いましたが、今までの経験をもとに今の自分のできることを精一杯がんばろうと思い臨みました。決勝戦では、定期的にセットをしている杉浦勘介がいて少し緊張がやわらぎました。
1位通過だったので、抜け番を最初に決めます。実は前日から決めていました。
体力的には3番目抜けがいいと思いましたが、1回戦の入りがいつも悪い(本戦3位、A級4位、準決勝3位)
集中力を途切れさせたくない、他の選手の入り方を見たい、朝弱いw以上の点から1回戦を抜け番にしました。
これについては、みなさんから思い切ったなと後で言われました。
私にとっての1回戦(2回戦)東1局のアガリで気持ちが楽になります。
その後は自分らしく、ノビノビ打てたと思います。
4回戦の東4局1本場、優勝に向けて手ごたえのあるアガリをものにしますが、
今にして思えば、ここから優勝に向かってのプレッシャーを感じていたと思います。
それが、4回戦南3局、親の穴澤さんの8巡目五索を見て私の9巡目、良く言えば丁寧に打九索としましたが、
トータルトップの重圧からか、早めに処理してしまいました。
5回戦の南4局でも、そして2本場でもこれが決め手になると思い、10巡目の三万を鳴かずに攻める気いっぱいでしたが、リーチが入ると頭に最悪のケースが浮かび攻め切れませんでした。
いつもより、数倍リーチや仕掛けが脅威に感じていました。
【最終戦】
森下+47.0P  杉浦+16.1P  伊藤+13.7P  穴澤▲4.5P
東1局から2位の杉浦勘介が5,800、1本場では12,000をアガリほぼ並びになる。
自分のやるべきことは、なんとしても原点キープとそう思いました。
焦りなのか、やってはいけないミスをしました。
東2局1本場、自分の中で手ごたえのあるポンテンの2,000点テンパイ。
誰からでも出そう、この瞬間、頭の中が「これはアガれる」、だけになってしまいました。
テンパイする前までは、穴澤さんの仕掛けを注意していたのに。
完全に楽をしてしまった。頭が真っ白になりました…
今度は追う立場になりました。そこからは必死すぎてあまり覚えていません。
オーラス、杉浦とのポイントは7.6P。しかし複雑で混乱していました。
優勝決定の瞬間、穴澤さんから伊藤さんへ5,200移動、これが3,900点なら順位点などで負けていました。
頭の中で何度も計算しましたが優勝したのか不安でした。
杉浦がおめでとうと1番最初に握手をしてくれて勝ったのだと思いました。
よく知っている間柄だけにちょっと泣きそうでした。
たくさんの人から電話やメールを頂いた事で優勝の実感が湧きました。
今回の決勝を振り返って、優勝を収めることができましたが、冒頭で述べたように、まだまだ課題が残りました。今後また、あの素晴らしい舞台に立てるように、もっと自分自身を鍛え上げて、大舞台でも自分らしい麻雀が打てるように準備していきたいと思います。
今の自分があるのは、これまで出場してきたタイトル戦での経験や、中部本部や静岡支部の仲間など、麻雀業界で生きてきて出会ったたくさんの人々のおかげだと思っています。
この出会いを大切に、もっとたくさんの人と麻雀を打つ、人の麻雀を見る、人に麻雀の考えを聞く、を実行していき、人としても麻雀打ちとしても成長していきたいと思います。
拙い文章でしたがお付き合いありがとうございました。
次回は、野口賞を優勝し、モンド21杯に出場している井出康平プロにバトンを渡したいと思います。
井出プロ宜しくお願いします。