鳳凰の部屋

「~天候~」 HIRO柴田

年末の決定戦進出を賭けたリーグ戦を前にして私は肩を痛めていた。四十肩、五十肩というやつだ。
寝ている時も悲鳴をあげてしまうほどの激痛で私生活から影響を及ぼしており、対局中においては麻雀人生で1番対面の牌山の位置が気になるくらい神経質になっていたのを覚えている。
人生の先輩である西島プロに知恵を借りようとストレッチを教わったり、お尻を浮かせながら牌山に手を伸ばす練習もしたりと色々と試してはいたが早急な解決策がなく困っていた。
発症から病院を巡ること2か月、紹介していただいた3軒目の病院でなんとか痛みが和らぐ程度に落ち着きリーグ戦最終節、そして決定戦へ挑んだのを記憶している。
ここで私が言いたいのは、自分の牌山の定位置の出し方はあるかもしれないが、女性やご年配に対しては気持ち少し前に山を出してほしいということだ麻雀において洞察力は大事。
それだけ伝われば今回の鳳凰の部屋は大丈夫、というわけでもなく3日目の自戦記を書きたいと思う。

前回の鳳凰位決定戦2日目では2連続4着スタートと一時は2番手前田に10ポイントまで詰め寄られ天気はどしゃ降りの雨だったが、最終8回戦でトップを獲ることができ再び30ポイントのリードと最後に薄日がさすような我慢の1日となった。

 

100

 

3日目の目標はトータルポイント100オーバー、最終日へ向けて十分な位置で逃げ切りや一騎打ちできるポイントを目指し戦うこと。
前回早い段階で苦しんだ分、今日は気が引き締まっている気がした、あとは自分のパフォーマンスが心身共に十分に発揮できるかであろう。

9回戦
東1局は佐々木の1,300オールから始まった1本場、仕掛けている吉田の河にはドラの一万が置いてある。
自身の手牌にもドラの一万が1枚あるのでここはリスクが低いとみてフリテンリーチを選択。

 

100

 

しかしこれはどちらも当たり牌となり1,000は1,300と吉田への放銃となる。

 

100

 

少ないながらも連続失点はずるずるいってしまうので、どこかでアガリが欲しいところにすぐチャンスは訪れた。

 

100

 

100

 

ジュンチャン三色こそ逃したものの、この配牌から2,600オールをツモアガれたのは3日目の初戦としては十分大きかった。

親の連荘とまではいかなかったが、南入してからはトップ目の佐々木の親をヤミテンの3,900で進めたりと3度のアガリがとれる。

 

100

 

100

 

100

 

上から六筒切りテンパイ、八筒切りテンパイ、白切りテンパイと全てテンパイしてすぐのアガリとなり初日の好感触を思い出させるような大きいトップを獲ることができた。

10回戦
吉田が3,900オールの好発進となると続く1本場では佐々木のリーチが飛んでくる。

 

100

 

100

 

佐々木のリーチはカン三筒、そこへ私は仕掛け返して六筒九万と勝負して子方ながらテンパイを維持することに成功する。
冷静に判断すると放銃すれば無駄な勝負なので行かないほうが得策だろうが、東場の主導権争いに参加したかったのか、それとも9回戦の好感触を忘れられなかったのか?
細かく考えると前田が五筒持ってそうでそうなると六筒がワンチャンスで、三筒六筒待ちよりは二筒五筒の方が佐々木に当たる濃度が濃いとか、なにより通ってない牌も多いしとか?
当時の自分のことは麻雀に入り込んでいて全く覚えていないのだが、選択は間違っていなかったというのは悪くはなさそう。

続く2本場では

 

100

 

この配牌が

 

100

 

ここまで伸ばすことに成功するが、同じ一色手の佐々木が2,600オールをアガりきる。

 

100

 

吉田、佐々木が今半荘抜けることにより主導権争いを切り替えて耐える時間となってしまう。

南1局
吉田の親が怖いところだが、自分の打点こそないものの待ちがそこそこ良し、なにより17,100持ちの私へ浮きのキッカケは与えたくはないので、受け手もある程度の手がないと攻め返しにくいところだろう、ただそのある程度の手が入ってしまったら私的にも大惨事になりうる、そういった覚悟もしつつリーチドラ1の手を打ち流局となった、親が流れれば十分だ、良いときに増やし悪いときは局が進めば上出来だ。

 

100

 

 

100

 

前田の猛追もあったが、ここは前田をわずかに抑えて10回戦は沈みの3着で終えることが出来た。

11回戦

東1局自身にとってはさっそく勝負の局とした。

 

100

 

親である吉田の一索四索のピンフドラ1リーチに対して

 

100

 

100

 

テンパイとなる一索切りや安全牌である二索でもなく、通っていない五筒を勝負する、もちろんチンイツテンパイすればドラ四筒を勝負。
この時の思考は覚えている、まだ東場、相手の待ちを読むとかではなく役無しの一索切りで通ったリーチの後に三筒六筒のアガリを祈ったり、相手のリーチに目を瞑って怯えるくらいなら、目を開いて選択の幅をまだ残しての勝負に行こうということ。

 

100

 

結果は吉田の2,600オールのツモアガリだったが、一索は放銃の牌だし自身としては10回戦のテンパイ取りに似て悪くはなさそう。
私の言う悪いと良いの差は前がかって勝負しているか、良い脱力感で勝負しているかの違い。私にとっては一索切りリーチが前がかっているように感じただけで、そこは打ち手の感性であると思う。
そして大事なのは、私の選択が悪いと感じたあとの修正力であろう、この舵を間違えると大惨事になるのが私の麻雀の特徴でもある。

東2局
親番で配牌とツモに恵まれ5巡目に高めタンヤオピンフ三色というリーチを打つ。
この手6,000オールのツモアガリとなるようだったら、本当にあと一歩となるなと緊張して手に力が入ったのを今でも覚えている。

 

100

 

結果は出アガリではあったが十分な加点となった。

南2局私の親番、早い手がいないのは好状況だった、相手に早い手を打たれると高いパターンも残しつつ進められれば、手牌次第ではあるがこちらも受けも考えないといけないくらいの現在33,100持ち。

 

100

 

100

 

他者は親である私の加点は嫌がるだろうから、押さえつけのペン七筒で即リーチという手もあるが、2日目の前回と違い本日は快晴模様と判断。
前巡に打たれた七筒は相手をおろせてもアガリまでは行かないので、手替わりを待つとすぐにドラ九筒続いて発と引いて、最高の4,000オールのアガリとなりトップこそないものの大きい2着となった。

12回戦
自身に動きがあったのは東4局チャンスを伺いながらもじりじりとした展開の中、私の仕掛けを見て佐々木がツモ切りリーチと来る。

 

100

 

行きがかり上と相手の待ちや打点への読み切れないのと親の吉田も来てしまったので、押しきりを選択するも五索で佐々木へ高めの放銃となり南場への不安が過る。

 

100

 

南1局は自身の下降線を意識し親ではあるが早い手よりはホンイツへ、11回戦とは雲行きが違うと感じての抑え込みの選択とした。

 

100

 

ここは全員ノーテンとなるが、自分が増やすというより静かに進めば良いと思っていたので、親は落としてしまうがあとは我慢しつつチャンス待つのみ。

南2局、北家の私に役牌のトイツが入ってしまった。鳴いての1シャンテンはリスクこそあるがとって劣勢を切り開くべきと判断しポンし軽いアガリに成功する。

 

100

 

100

 

南3局、佐々木の強烈な親リーチが入る。

 

100

 

そして私の手は以下となった。

 

100

 

この時、私の選択肢は現物の七筒、ワンチャンスの九筒、そして三索であった。
三索を選んだ理由は、まずは消去法で考え現物の七筒を打ったあとに二索五索で役無しリーチを打つのが嫌だったこと、九筒を打った後に一万ツモで表示牌である四索を打つのが嫌だったこと。
まだ現状でオリるという選択はなく、なによりリーチが無かったら三索を切る手牌ということで打三索とした。

 

100

 

偶然だが三索が絶妙な牌となり、現物の一万二万落としと中筋でテンパイとなる打六索と前田が選択できることとなり、前田のアガりで佐々木の大物手がかわされる。

南4局、佐々木はアガリトップでさらに4着が私なので好位置からのタンヤオ、吉田は親で連荘狙い。

 

100

 

100

 

ソーズでもつれたのが功を奏し、チンイツのアガリを取ることが出来た。

 

100

 

沈みの4着から浮きの2着まで浮上することができ目標の100オーバーとは行かなくもベストで終えることができた。

 

100

 

稀にない1人浮きの状態で最終日に向かうことができた。

最後まで読んで頂きありがとうございます、いよいよ次回は最終日、鳳凰位獲得前後の事など書きたいと思うので宜しくお願いします!

 

100

 

100

 

100

 

オマケ写真は2022WRC-WIEN世界大会の様子です!