鳳凰の部屋

第29期鳳凰戦の軌跡~圧迫~

2日間、計10回戦を戦い終え、トータルポイントは、
瀬戸熊+72.5P 前原+30.6P 藤崎▲47.0P 荒▲56.1P
首位で折り返して、5日間のインターバルを迎えようとしていた。

色々反省点や思うところはあるが、ここまでは及第点と言っていい戦いぶりだった。
いやむしろ出来すぎだ。

あの3人と、対等に戦える麻雀打ちになれたのはいつからだったのだろう。
数年前まで、本当に見苦しい麻雀を打っていた自分がいた。
下図は、僕の映像対局の初戦である。

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今から7、8年前だろうか。丁度、鳴物入りで入ってきた、寿人の1年目の年でもあった。
4巡目、寿人からまったく躊躇のないリーチが入る。その仕草は、20年選手のようだ。
手牌はなんと、メンホンのペン七万マチ。

僕も勝負手を育てていた。
7巡目、リーチ者の寿人が四筒をツモ切る。
今だったら見向きもしない牌だが、極度の緊張と焦りに、チーしてしまう。
北として一応テンパイ。

その後、決着は長引き、最後の親番でオリられない藤崎さんが、

一万一万四万四万六万六万七万八万八万五筒五筒白白

このテンパイをしている所に、ドラの二筒を持ってきて七万で放銃となった。
放銃とはなったが、藤崎さんらしい打ち廻しが光る一局となった。
寿人も、存分にらしさの出た一局だった。むしろ一連の動きは賞賛に値する。

対して僕は、焦ってチーしなければ、アガリもあったのに、自分を見失い最悪の一局となった。
(鳴くべき場面の鳴きならいい。でもこの牌じゃない)
今見ると、いかに未熟だったか鮮明に解る。
当時はそんなに悪いチーだとは思わなかった。
それより、堂々と打つ先輩と後輩を、ただただうらやましく思った事が最も記憶に残っている。

動画サイトでは、この局が30万回アクセスされている。
http://www.youtube.com/watch?v=K4G8wxl5RWo

プロの宿命だが、恥ずかしく、苦々しい。
結果を出せない人間は、次のチャンスをぐっと堪えて待つしかない。

そして迎えた待望のチャンスは第3回天空麻雀。
ビビッて、麻雀にすらならなかった前回の対局が頭から離れない。
予選の対局者は、その年鳳凰位を獲った望月さん、滝沢、寿人。
ラスさえ引かなければ、次に生き延びられる戦い(トップは決勝へ、2、3着は準決勝へ)

またも麻雀にならない。いや戦っていない。
トップは滝沢、2着は寿人、僕は全く戦わず3着。
望月さんは、ラスだったが内容は僕よりずっと良かった。
もちろん2人の後輩もいい麻雀を打っている。

失意のまま迎えた準決勝。
ちょっとだけ自分らしくなり、決勝へ。
そして優勝争いしていた親番でまた弱気になり敗れる。

今振り返ると、結局自分の麻雀が確立されてなく、麻雀とは、戦いとは、の本質が全く解っていなかったのだと思う。

そこから少しずつ努力して、鳳凰位を連覇した。光が見えだした。
そこからが大事なのに、気を抜いた。そんなつもりはなかったが、前回の敗戦がそれを物語っている。

今度は、本当に死にもの狂いで努力した。
そして、自分を見失わずに2日間の戦いを終えた。
2日間無事終えたからこそ、勝ちを意識して逃げる麻雀を打ってしまうのではないか恐い。

昨年は、マイナスで迎えたから5日間のインターバルが短く感じた。
しかし、首位で迎えた5日間は途方もなく長く苦しいものだった。

24時間、鳳凰位決定戦の事が頭から離れない。
滝沢が3日目の冒頭でズバリ言い当てていた。

こんな気持ちで一週間を過ごせる僕は、麻雀プロとして幸せなのだろう。
内容の伴わない麻雀を打ってしまった喪失感を思えば、
「負ける事」は何も怖くない。
「自分の麻雀を打つ」この事を呪文のように念じ続けていた。
ようやく見つけたのだから、「瀬戸熊直樹の麻雀」を。

最近、後輩たちに指導する場面が多くなった。

僕なんかが・・・と思う。

数年前だったら、間違った事を教えていそうな僕がいた。
ほんの少しだけ麻雀がわかってきたから、手助けの気持ちで教える事にしている。
僕のような失敗はしてほしくない。
よく口にするのは、

「とにかく沢山麻雀を打て!」だ。

人は実力以上の事はできない。ミラクルプレーは反復練習を何万回してようやく生まれる。
身体に覚えさせていかなければ、どんな競技も身にならないと思う。

でもその反面こうも思う。

「僕のように、全てを犠牲にして打ち込むことが正しいのだろうか?」

彼らにそんな事は無理強いできないし、僕のような愚か者を増やすだけなのではないだろうか・・・。
大学時代ありえない生活習慣だった。月に半荘400~500回を打ち続けた。
そこには、理論も何もなかった。日々の麻雀から全てを吸収した。
就職してサラリーマンになったが、打チャン数が100回ぐらい減っただけで、来る日も来る日も打ち続けていた。
僕の世代でも大変な事だったから、僕より先輩である3人は、もっと修羅の道を歩んだのだろう。

時代は移り、少しずつこの世界も仕事が増えてきた。そう、努力が報われる時代がそこまできている。
その入り口だからこそ、最高峰の戦いは、究極の牌譜を残さなければならない。
プロとはそういうものだと思う。

そして若い世代が何の心配もなく、麻雀だけに没頭できる世界にしたい。
そうしなければ、この世界の技術の向上はありえない。

若い世代を強くする。その事が自分を打ち手として、もっと成長させてくれるのだから。

ずいぶん偉そうな事を言ったが、冒頭にも書いたように、僕がちょっとだけ打てるようになれたのは、本当にごく最近だし、まだまだだと思う。

悲しませた人がいる。支えてくれた人がいる。そして応援してくれる人がいる。

僕の為の戦いだけど、僕の麻雀は僕だけものだとは思えない。

あと半荘10回、何があっても、どんな結果になっても、笑って終われる対局にしようと思えたのは、3日目の前夜だった。

第29期鳳凰戦の軌跡~疲労~へ続く