「~決定戦を迎えるまで~」 佐々木 寿人
2021年04月27日
あれは確か2005年の春先のことだった。
私は、既に何度か手合わせさせて頂いていた前原雄大さんを介し、当時日本プロ麻雀連盟副会長だった森山茂和さんのもとへとご挨拶に伺った。
「次回のプロテストを受けさせて頂こうと思っています」
20分ほどの時間だっただろうか。
ただ、その決意が固まるには十分すぎるほどの時間だった。
私はその中で、ある関係筋からプロにはならないで欲しいと言われていたことも正直に伝えた。
それに対する森山さんの返答はいたってシンプルだった。
『そこは最後まで面倒見てくれないぞ』
この世界のことをまだよくわかっていなかった私にとっては、衝撃的な一言だったし、それは裏を返せば、プロ連盟に入ったならある程度の生活は保障されると言われているようなものだった。
そのためにはもちろん結果が求められるし、その自信がなかったならプロ入りという決断にも至らなかっただろう。
『悩むだけ悩めばいいよ。気が向いたらいつでもおいで。プロ連盟はいつでもあなたを待っています』
もうこの言葉だけで十分だった。
何年と麻雀だけ打って生活を送ってきた初対面の人間に対して、ここまでの事を仰って頂いたのだ。
あれから16年が過ぎたが、この時の会話は今でもはっきりと覚えている。
プロテスト受験に向けて、間違いなく最後の後押しとなった出来事だった。
翌年、私はD2リーグからプロ生活のスタートを切った。
アマチュア時代に漫画のモデルになっていたこともあったのだろう。
最下のリーグであるにも関わらず、私の背後にはギャラリーで人垣ができていた。
タイトル戦の決勝でもあるまいし、この光景はある種異様でもあった。
ただ、私にとっては、決して皆と同じスタートラインではないのだなということを意識させるには十分過ぎる現象だった。
やはりプロの世界は注目されてなんぼである。
数ある内の1人にならないためにどうするか、それが私の原点となったことは間違いない。
そんな私の転機となったのは、第8回モンド21杯だった。
後から聞いたことだが、実はアマチュア時代にも出場メンバーに私の名前が挙がったことがあるそうだ。
もちろん“プロリーグ”の看板がある以上、その話はすぐに立ち消えになったとのことだが。
さて、当時チャンピオンズリーグの優勝経験こそあったものの、実績的にはまだまだという私が何故その舞台に立つことができたかと言えば、そこには“萩原リーグ”の存在が大きかった。
“萩原リーグ”は、文字通り萩原聖人さんが主催されていたリーグ戦で、第2期目に私も参加メンバーとして招いて頂いた。
土田浩翔さんや、古久根英孝さんなど錚々たる12人が揃う中、私は決勝戦へと勝ち進んだ。
対戦メンバーは、河野高志さん、鈴木たろうさん、水巻渉さんという各団体を代表するような選手ばかりだったが、結果は私の優勝。
それを受けて、萩原さんがモンドのプロデューサーに強く私を推して下さったのだ。
だが、肝心要の本番で私はいきなり躓く。
7戦しかない予選で、痛恨とも言える4連続のラス。
マイナスも180を超え、敗退が濃厚のポジションにまで落ち込んでしまった。
関係者からは、少し打ち方を変えてみたらとも言われた。
まぁ当時の私にそんな柔軟性もなければ、それでは意味がないという反発心もあったわけだが。
今大会、最終的に私は決勝戦へと進出する。
予選の残り3戦で負債を完済し、4位に滑り込んだのだ。
決勝こそ4着となったが、これが次へと繋がった。
翌年、第9回モンド21杯で、テレビ対局初優勝。
リーグ戦の方もほぼ停滞なくB1まで勝ち上がり、プロ活動も順調に思えた。
「A1に上がってさえしまえば、すぐに鳳凰位獲れると思うよ」
これは当時、前原さんから言われた言葉である。
私はその意味が分からなかった。いや、今でもそうだ。
単純に発破をかけて頂いただけとも思えなかったが、前原さんには一体何が見えていたのだろう。
問題は、“上がってさえしまえば”というところだったのかもしれないが。
実際、ここからが長い道のりだった。
私の記憶が定かなら、B1には4年半居座った。
これだけ長く停滞すれば、当然たくさんのプロが行き来した。
その中には、上から落っこちてきた滝沢和典もいた。
のちに2人でA2に上がり、有楽町の中華料理店で荒正義さんから祝って頂いたのも、今となってはいい思い出である。
それが2013年の話であるから、A1に上がるまでもやはり7年の歳月を要した。
31期のA2リーグでは、昇級濃厚とまで言われた首位のポジションから最終節に大きく崩れて4位で残留。
翌年には、初の降級も経験した。
ただ、これは負け惜しみでもなんでもなく、あの時昇級を逃して本当に良かったと今は思う。
確かに年月は犠牲にしたかもしれないし、ぐったりと肩を落として家路についたことも忘れてはいない。
結局のところ、あの時は芯が座っていなかった。
押し引きのバランスも崩れていた。
私はつくづく学習能力のない人間だとも思う。
だが、あの2年の経験が私の麻雀人生に大きく生きたことは疑いようがない事実である。
だからこそ、昇級を決めた36期のA2リーグでは、しっかりとした構えができていたと思うし、自身初となる37期のA1リーグでも、最後まで大崩れすることなく戦い抜けたのではないだろうか。
トレーニング方法を変えたことも大きい。
一時はそのほとんどが公式ルールだったのだが、正直なところ、こればかりやっていても大波を捕まえる練習にはならないと感じ、ある時期から三人麻雀を積極的に取り入れるようになった。
実際、今回の鳳凰位決定戦を迎えるに当たっても、公式ルールの稽古は半荘にして4回しか打っていない。
三人麻雀は、どこまでも真っすぐ打ち抜くための格好の練習場である。
また、チーができない分、ポン材に対する意識も自然と高められる。
特に字牌の切り順はかなり重要で、これが雑な打ち手はまず勝ち切れない。
私にとって三人麻雀は、基礎的な部分を鍛える意味で、欠かせないトレーニングとなっている。
どの競技でも大切なことは、やはり基本に立ち返ることにあると思うのだ。
そして、その中で何を見つけられるか。
新たな発見無くして、成長無しである。
今期、私は徹底的な三人麻雀の打ち込みによって鳳凰位を獲得することができた。
最終日の前日ですら7時間ほど打って、万全の精神状態を作り上げた。
次回は、決定戦初日に焦点を当てて、どういう思いでこの戦いに臨んだかというところについても触れていきたい。
カテゴリ:鳳凰の部屋