「~我が麻雀人生、最高の日~」 佐々木 寿人
2021年12月30日
15回戦を終え、トータルポイントは以下のようになっていた。
佐々木+68.3P 藤崎▲3.7P 沢崎▲13.2P 勝又▲52.4P
残すはあと1ゲーム。
現状、トータル2位の藤崎さんとの差ですら72P付けていて、しかも3者は皆マイナスポイントである。
これは私にとって理想の運びであり、余程のことがない限りは、逆転されることもないぐらいのポイント差と言っても過言ではない。
だからと言って気を抜くのはまだ早い。
最終ゲームの私のテーマは、とにかく丁寧に3者の親を落とすこと。
そして南4局を迎えた時に、3者に逆転条件を残さないことの2点に尽きた。
東場は拍子抜けするくらいあっさりと流れた。
自身で開局から、700・1,300、6,400、1,300と3連続でアガって持ち点も40,000点を超えた。
最初の親番も無傷で落ち、いよいよゴールも見えてきた感がある。
南1局こそ沢崎さんに1,000点の放銃とはなったが、通行料としては決して高くない。
残す仕事は、南2局の沢崎さんの親番と、南3局の勝又さんの親番をしっかり落とすことのみとなった。
もう波乱はないと心のどこかで思っていた。
焦ることさえなければこのまま無事に終わるのだと。
それは祈りにも近いものだった。
私は目の前の沢崎さんの親を落とすことに全神経を集中させた。
だがそれは、あまりに高い壁となって私の前に立ちはだかった。
2巡目、私の手牌はこうなった。
ツモ ドラ
既に最後の親が落ち、厳しい条件となった藤崎さんはいるものの、沢崎さんだってこの親は落とせない。
アガリに向かうためには、字牌も切り飛ばしてくる。、という切り出しが何よりそれを物語っていた。
3巡目、沢崎さんの切ったをポンして1シャンテン。
ポン
藤崎さん、勝又さんに抑えられるのは仕方ない。
ただ、沢崎さんか私のツモ筋にかがいればいい。
まだ1シャンテンとは言え、これで全面勝負の構えだ。
5巡目、をチーしてテンパイ。
捌き手のセオリーならここだけは鳴かないところだが、先に述べた通り状況が状況である。
私に迷いはなかった。
11巡目、沢崎さんからリーチ。どんな中身だってあるリーチだ。
当然こちらに退く手はない。勝負を長引かせる要因の多くは、子方の撤退によるものだからである。
このような特殊な条件戦では、戦える時に徹底して戦うことがとにかく重要であると私は考える。
決着は沢崎さんの最終手番だった。
リーチ ハイテイツモ ドラ
待ちは場に3枚切れの。
そう、どんなに苦しい状況だって沢崎さんはこの親に拘り続けるしかない。
それがわかっているからこそ私もぶつけにいくのである。
南2局1本場、14巡目にテンパイ。
ドラ
だがここも沢崎さんにアガリ切られる。
チー ツモ
南2局2本場は、沢崎さんの1人テンパイで流局。
じりじりとした展開が続く。
そして南2局3本場、恐れていた時がとうとうやってきた。
沢崎さんのリーチは6巡目で、捨て牌は以下。
それを受けての私の手牌はこうだ。
ツモ ドラ
一旦現物のを切るが、これが高いリーチであることは誰が見たってわかりそうなものだ。
ほぼ撤退の一打である。
迎えた10巡目、「ツモ」と言われて開かれた手牌は、私の想像を遥かに超えたものだった。
リーチ ツモ
その瞬間、私の体から血の気がさーっと引いていったのを覚えている。
それは間違いなく競技人生初の経験だったし、言葉で表現するのが難しいほどの感情にも陥っていた。
実際、現実に戻るまで数巡は要したと思う。
ただ最後は、この想いだけが心に留まった。
「このまま負けていいのか。いいわきゃねぇだろ!」
前にも書いた通り、これが最後のチャンスかもしれないのだ。
そう簡単に諦められるはずなどないのである。
しかしながら、沢崎さんの親はなかなか落とせなかった。
南2局6本場が私の1人テンパイで流局となる頃には、そのポイント差も26Pにまで広がっていた。
ちなみに南2局を迎えた時点での私のリードは93Pであるから、この一親で実に119Pをひっくり返された計算になる。
麻雀とはつくづく恐ろしいというより、沢崎さんの親番はそれほど厄介であるということを再認識させられた最終戦だった。
南4局9本場、今決定戦最後のアガリは私のもとに訪れた。
リーチ ツモ ドラ
これまで映像で、何度見返したかわからない1局である。
引きアガった瞬間、沢崎さんを再逆転したことも当然わかっている。
ただその時の精神状態としては、不思議と燃え上がるようなものはなかった。
ここまで築いたリードを1回の親番で捲られてしまった悔恨の念と、まだ終わりではないという思いが混在して浮かび上がってくるような、とにかく複雑な気持ちだった。
ここからは、勝負事において最も重要な詰めの作業が待っている。
私と沢崎さんとの差はわずか5.6P。
同点のケースは、リーグ戦通過順位が上位である沢崎さんに軍配が上がる。
10本場であることを踏まえた上での沢崎さんの逆転条件は、300・500ツモアガリか、私からの1.000の直撃、および藤崎さん、勝又さんからの2,600以上の出アガリとなっていた。
私はノーテンで伏せられる状況とは言え、テンからオリに向かうほど気持ちに余裕はなかった。
人生を変えるほどの1局だ。サイコロボタンを押す手には、自然と力が入っていた。
ドラ
配牌は軽かったが、問題は私の手牌よりも沢崎さんの速度感だった。
3巡目までの捨て牌が、と全て手出し。万が一にも放銃できない私の警戒心も当然上がっていく。
4巡目、ツモときたところでのトイツに手を掛ける。
ツモ
は沢崎さんの風牌であるが、1翻でも欲しい時にのトイツ落としなら、役牌を抱えている可能性は低い。
ただ念には念を入れてより2枚持ちの方から切ったのは、自身もまだアガリを見据えていたからである。
5巡目、藤崎さんの切ったを沢崎さんがカンチャンでチー。
くどいようだが、私は1,000点ですら打つことができない。
ここからは沢崎さんの捨て牌に合わせた打牌選択を余儀なくされる。
それでも9巡目には1シャンテン。
は既に沢崎さんの現物となっているし、を仕掛けた沢崎さんも、その後に、と手出ししていることから、決して楽な手格好ではなかったことが想定できた。
しかし、11巡目にドラの、続く12巡目にの手出しとくれば、いよいよ私にも撤退の選択肢が出てくる。
13巡目、ツモときたところで私はその結末を天に委ね、を抜いた。
後は沢崎さんがツモアガるか、流局まで持ち込めるかの2つに1つだ。
ここからは本当に長かった。
沢崎さんにツモられたなら、沢崎さんが上だったと素直に認めればいいとは思っていても、やはり勝ちたいという気持ちを抑えることはできなかった。
我が麻雀人生において、これほどまでに流局を願った1局はない。
全てが終わり携帯電話に目をやると、優勝を祝うたくさんのメッセージが入っていた。
その中に着信が1つ。前原雄大さんだった。かけ直すと、前原さんは泣いていた。
「本当におめでとう…よかった…いや、本当によかった…それだけ。じゃあね」
そう言って電話は切れた。
ただただ有難かった。
思い返せば2人でタイトル戦もよく戦ったな(私はセコンドという立場だったが)などと感傷に浸りながら、私は家路についた。その喜びを嚙み締めるかのように、ゆっくりと。
夜風は頬に刺さるほど冷たかったが、それすらも心地よく感じられるほど最高の気分だった。
プロ入りから15年。追いかけ続けた夢は、今ここに叶ったのである。
あれから早や10ヶ月。
年始には現鳳凰位として初の決定戦を迎えることになる。
だからといって、驕りも気負いもない。
ただひたすらにてっぺんを目指して打つのみである。
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