第252回:プロ雀士インタビュー 石井 良樹 インタビュアー:増田 隆一
2022年12月25日
【石井と麻雀、私との出会い】
もう10年以上前の話。
私と石井の出会いは当時プロテストの最終審査的な位置付けであった「研修会」だった。
瀬戸熊と私で担当していた班の研修生であった石井は、当時から判断が早く迷いのない打牌を繰り返していたのが思い出される。
そこから少し時が経ち、ふらっと立ち寄ったとある雀荘で再会すると、自宅が近所であることが判明。
そこからは講師と研修生ではなく、1人の飲み友達としての付き合いが始まった。
時は20数年前に遡り、石井と麻雀の出会いは少年時代だと言う。
スポーツ全般が得意で、将来は芸能人を夢見る少年だった石井は、体育の時や休み時間、常にクラスの中心にいたそうだ。
「今で言うといわゆる陽キャですね(笑)」
では、そんな石井がなぜ麻雀にのめり込むことになったのか?
「家に帰ると父親が麻雀ゲームをやっていて興味持ったんですよね」
興味は持ったものの、卓球選手として中学時代山形県優勝、高校時代山形県準優勝のレベルであり、練習もハードで、あくまでたまの息抜きに麻雀ゲームをする生活。
「実は地元の釣り大会でも優勝経験があり、卓球、釣り、最後に趣味で麻雀と言う位置付けでした」
では何をきっかけにプロの道を志すことになったのだろう?
「高校3年生の時に、プロ雀士に興味を持った人が出てきて、それをきっかけに自分も意識するようになりました」
部活を引退し、ぽっかりと空いてしまった心の隙間と時間。
小学校からの夢である芸能人も、具体的に何か話がある訳でもなく、かと言って他に何かやりたいことがある訳でもない。とにかく何かしなければと言う焦りに近い気持ちが石井を動かす。
「とにかく動いてみようと言うことで東京行きを決めました。水道関係の会社に就職も決まり、後は上京して芸能人になるのか麻雀プロになるのかやってみようと」
正直、俳優でも芸人でも歌手でも麻雀プロでも有名になれれば何でも良かったそうだ。
「ビッグになりたい」
若い時だからこそ出来る、計画性のない無鉄砲な行動。
ただ、動かなければ何も始まらないのも事実。
少しの勇気が石井を後押しし、プロ連盟の門を叩くことになる。
しかし、この時点で石井はまだ何者でもない。
【夢半ばで帰郷へ】
東京での生活にも馴染み、結婚。そして嫁との間に第一子を授かる。
「実家の両親から、子供もできたことだし、そろそろ戻ってきて家業を継いで欲しいと言われたんですよね」
結果、東京での生活に終わりを告げて実家の会社に勤めることになるのだが、麻雀プロを続けることにかなりの葛藤があったと言う。
「芸能人はもう諦めてましたけど、麻雀プロは諦めたくなかった。でも実家に帰ればチャンスも減って、出られる試合も限られてくるし、(麻雀プロを)続けるか悩みましたね…中途半端なまま続けていいものかと…」
話は飛ぶが、先日の王位戦決勝、実家の会社は営業日にも関わらず快く休暇をくれたと言う。
石井の晴れ舞台を応援するため、家族総出で仕事をカバーしてくれたらしい。
そして優勝が決まった時には、「明日もゆっくり休め」と改めて休暇をもらった。
このような家族の協力があったからこそ王位戴冠に繋がる。
と、ここまで見ると常に家族の協力の下で石井がプロ活動を続けて来たと思うだろうが、実は王位戦まではむしろ麻雀プロとしての活動を反対されていたらしい。
タイトル戦は勝てば次のステージへ進む戦いなので、勝てば勝つほど日程が埋まって行く。
プロとしては喜ばしい話である反面、他に仕事を持っている人間からしたらたまったものではない。勝てば勝つほど仕事を休まなくてはならないのだ。
石井の勤め先は、父親が代表とは言え会社組織である。従業員も抱えて周囲の目もあり、更にまだ何者でもない石井のプロ活動は社内でも趣味的に見られており、試合で休暇を取ることを快くは思われていなかったのだと言う。
また、石井は2児の父でもある。子供たちの楽しみは、休日に父親と外出すること。タイトル戦での活躍はすなわち休日が潰れることであり、家族団らんの時間が減ることを意味する。会社同様、家庭内でも麻雀の試合に参加することは快く思われていなかった。
「(今期)マスターズのベスト16に残った時に、父親が“もう1回勝てば放送対局だったのか、惜しかったな“と家族の中で初めてプロ活動に肯定的な声を掛けてくれました」
家族や会社の中で少しだけ“空気”が変わった瞬間であった。
ところが続く十段戦は、決勝までかなりの日程を要する長丁場と言うこともあり、参加の許可が降りなかったそうだ。
「インターネット麻雀選手権でもベスト16まで残ったことで、趣味的ではなく、プロとしてキチンと頑張っていると理解してくれたのか、“天翔位のシードは1年だろ?折角のチャンスだから行ってこい“と、王位戦は初めて快く送り出してもらえました」
そして王位戴冠。
「今は、“王位になって1年間色々とチャンスがあるのだろ?仕事は何とかするから気にせずに、精一杯やってこい“と、会社では父親が、そして家庭では妻が先頭に立って応援してくれています」
よくよく聞いてみると家族や会社の協力は、石井が実績を見せ付け、自らの手で掴み取った物だった。
「何か決め手があって麻雀プロを続けることにした訳ではありませんが、4時間くらいかけて移動し、試合に臨む以上は負けられない気持ちが今までよりもっと強くなりました。こうして結果も出せたので、今となっては実家に帰って良かったのかもしれませんね。妻も王位戦がきっかけで、麻雀に興味を持ってくれましたし」
何が幸いするか分からないが、石井にとって実家に帰ったことは間違いなくプラスになったに違いない。
【人への気遣い】
ここで1つ、石井の人柄が見えるエピソードを紹介したい。
実は私も東北リーグへ出場させてもらっている。
きっかけは地方チャンピオンシップで東京へ来ていた石井との飲みの席であった。
「オレ、結婚して実家に帰り東京のリーグ戦出れないんですけど、本当は東京でがんばって昇級して増田さんとリーグ戦やりたいんですよ」
正直、私も酔っていた。
「じゃあ東北リーグ出るか」
酔った勢いの軽い気持ちの言葉だったが、その週が明けた頃には本部長まで話が通っており、私の東北リーグ参加が決まっていた。
全ては石井の段取りである。
私が東北リーグに参加するにあたり、往復の交通費が約¥25,000、状況次第で宿泊となれば更に¥10,000くらい、移動時間が約4時間の負担となる。
私に金銭的、時間的に負担を掛けていることを石井も分かっており、前乗りすれば車を出して送り迎えしてくれたり、地元の名産品を送ってくれたりと色々良くしてくれた。
翌日の東北リーグは対戦。石井は早速、有志からのお祝いのネクタイを着用
今回も真っ先に連絡が。
「優勝インタビュー、東北の若手に頼もうかと思ったんですが、まずは増田さんがやってくれるかどうか聞くのが筋だと思い、連絡しました」
“強引ぐマイウェイ”
麻雀は強引にでも我が道を行くスタイルだが、実生活においては実に気配りの人である。
左から石井、増田
スマホで王位戦の動画を見ながら確認中
【東北への想い】
山形県へ帰郷したことで、東京本部から東北本部へと移籍となった。
移籍した当初、周りは後輩の方が多く、そんな後輩達が活躍して行く。
「波奈(美里)さんが新人王を取って、武藤(武)東北本部長がマスターズ準優勝、菊田(政俊)君が入会してすぐ天翔位取ってマスターズ準優勝、王位戦準優勝と活躍しました。東北に移籍してすぐのことだったので、まだ(東北本部に)馴染めていなかった時期ですね」
後輩の活躍に対して、焦りや悔しさを持つ選手も多いだろうが、石井の心中はどうだったのだろうか?
「不思議と悔しいとかはなくて、単純にスゲーって気持ちでしたね(笑)。東北に活気が出てきた時期だったので、天翔位を取れば自分も変われるかも?と前向きな気持ちを持たせてもらいました」
まだ何者でもない自分が、東北本部所属選手から刺激を受けることで、何者かになれるかもしれない。
中途半端な気持ちでなんとなく麻雀プロを続けたが、そんな自分も変われるかもしれない。
「そしてこの盛り上がりの中で、皆川(直毅)さんが日本オープンを勝って、それが自分のことのように嬉しくて。菊田くんや波奈さんからは刺激をもらったし、櫻井(勇馬)や小熊(良衡)、佐々木(俊哉)も若獅子戦で上位まで残って嬉しかったです」
東北地方は実に広い。東京在住の私が、東北リーグへ参加する際の移動時間は2時間弱。これに対して同じ東北地方にも関わらず、石井は約3時間かかる。
石井にとって仙台の地は遠く、移籍をした当初は実感も薄く部外者感も強かったのではないか?
それが今や、お互いが刺激し合い、仲間の活躍を祝い合う。
こうしてインタビュー会場にたくさんの人達が駆け付けてくれたことこそ、今や石井が東北本部に欠かせない仲間として認められた何よりの証拠だろう。
「これだけみんなの活躍が嬉しいってことは、本当の意味で東北本部の一員になれたんだなと思っています」
そして石井は「天翔位を取れば何か変わるかも?」の気持ち通り、2度目の天翔位戴冠によりシードを獲得し、そのまま王位戴冠。
少しずつ石井の人生が動き始めた。
【王位戦の話】
さて、そろそろ麻雀の話に移ろうと思うが、ここからは集まってくれた若手に任せることにする。
10年以上の付き合いで、私は石井の麻雀を知っているし、それなりに理解もしており、今更新しいことを聞き出せるとは思えないからだ。
なので、若手に投げたのは決して手抜きではない。
以下が参加してくれた東北本部所属プロ。岡崎は本人ではなくお祝いのお花が代理で参加している。
左手前から時計回りに、櫻井、石井、菊田、星乃、小栗、波奈
有志から石井にプレゼントが送られた
左手前から時計回りに、皆川、鈴木、津藤、菅原、石井
石井に様々な声が掛かり和気あいあいと麻雀談義
武藤武(本部長) 18期生 第26期麻雀マスターズ準優勝
皆川直毅 20期生 第18期日本オープン優勝/第1・7期東北王座優勝(東北プロアマ)
菊田政俊 32期生 第26.27.29期天翔位/第44期王位戦準優勝、第28期麻雀マスターズ準優勝
菅原直哉 28期生 第26期新人王戦準優勝 常に打っていると言われるほど、龍龍の打半荘数で有名。
波奈美里 30期生 第29期新人王 東京のプロリーグ、女流桜花にも参戦し選手としても活躍中だが、裏方としても東北の麻雀普及に力を入れるアイディアウーマン。
櫻井勇馬 35期生 第29・30期天翔位決勝進出、若獅子戦でも2期連続でベスト8進出。東北の若手随一の実績を誇り、東京のプロリーグにも意欲的に参戦。
小栗隆成 37期生 若獅子戦など東京のタイトル戦にも出場する意欲的で東北期待の若手。プロアマリーグ「帝社戦」では運営のサポートなど、内部運営もこなす。
星乃あみ 37期生 来期より東北Aリーグに昇級。波奈と共に女性向け麻雀サークル「麻雀女子会」を主宰するなど、東北で女性に対する麻雀普及活動にも力を入れる。
鈴木勝也 36期生 東北Bリーグでは圧倒的な力を見せつけて、来期より東北Aリーグに昇級。休みにも関わらず、私と石井のことをホテルまで車で迎えに来てくれたいい男。集計システムの管理など、裏方としても活躍。
加藤勇飛 38期生 新人ながら東北代表を勝ち取り、WRCリーグトーナメントに参戦(2次まで勝ち進むも敗退)。私と石井のために、一緒に30分近くかけてタクシーを探してくれたいい男。
氷点下の寒さの中、タクシーまで送ってくれた加藤と1枚
津藤孝幸 36期生 アマチュア時代、プロアマリーグで優勝し、鳴り物入りで入会した実力者。
岡崎圭吾 36期生 当日は参加できなかったものの、「せっかく写真撮るのに殺風景にならないように」とお祝いのお花を送ってくれた優しい男。
お祝いのお花と共に、嬉しそうな石井
(※順不同)
文字数もあり、全ての局面を書くわけにはいかないので、特に話が盛り上がった局面を抜粋したいと思う。
まずは準決勝のオーラス。アガリ続けなくてはならない局面だ。
「ピンフ高め三色のリーチが流局した時に、もうダメかもしれないと感じました。蒼山プロのテンパイ気配をほぼ毎局感じて、とにかく早いテンパイを取って先制しないといけないっていう気持ちでしかありませんでした」
見ていても常に紙一重。いつ蒼山からロンやツモの発声があり終局してもおかしくない綱渡りが続く中、石井の5,800は7,000(4本場)が決まり、勝ち上がりのポイントに届く。
そして5本場。奈良(圭純)からこのリーチ。
奈良からリーチ棒が出たので、ノーテンで伏せられるものの、1,300・2,600ツモか3,900直撃で石井は敗退となる局面。
放銃は即敗退だが、黙っていてもツモなら敗退、対してこの手をアガればほぼ勝ちが決まる葛藤。
石井の決断はオリ。
「蒼山プロの2枚落としでオリたと判断し、ノーテンでの終局狙いという判断になりました」
実際はすでに奈良の欲しいは山になかったのだが、見事な決断となり決勝進出を決めた。
そして決勝戦。
「とにかくツイてましたね(笑)。自分の中で決めていたのは“貫こう“と言うことです。東北本部の仲間にもいつも通り攻めるって宣言したんで(笑)」
4回戦オーラスが話題になった。状況は蒼山が5,800は6,700(3本場)で石井を逆転し、2人テンパイを経た5本場。
蒼山からリーチが入る。
蒼山に多少加点を許しても最終戦はほぼ並び勝負となり、決定打にはならないが、12,000クラスを放銃してしまうと石井もこの回沈みになりかなり厳しくなる。オリを選択して“保留“する者も多そうな局面だ。
「4回戦は3本場で、蒼山プロ5,800は6,700で逆転されて、4本場は逆転が現実的なポイントなので逆転を狙いましたが、それも厳しいので形式テンパイを取って、次局こそ決めようと思っていたところ親の蒼山プロの先制リーチが入り、ポイント状況的にもう自分しかこの親を止めることができないと判断し、なおかつ(この回のトップ)逆転の可能性がある場面だったので勝負所と判断し、リーチで真っ向勝負にいきました」
これが功を制し、蒼山から直撃を召し取りトップも逆転。ここで優勝を意識したという。
「勝負所で迂回の牌を選んだらもうこの先勝負できなくなる気がしました。だから気持ちを強く持ち続けるために自分を奮起させ、目一杯の牌で押し、勝負することを決めていました」
何切る問題になっている局も同じ気持ちで勝負したそうだ。
“一貫性”
言うは易く行うは難し。“攻める”気持ちはあれども、ポイントやリーチや仕掛け、信念を曲げたくなる局面は多々あった。その中で、“最後まで信念を貫いた”石井に皆から感嘆の声が掛けられていたことを記しておきたい。
【そして何者かに…】
現在、石井の元に、テレビ局や新聞社から取材が入っていると言う。
「今の段階で4社から取材を受けました。まあ、あまりニュースもない田舎なんで(笑)」
と、石井は謙遜して見せるが、これも石井が自らの手で掴み取った物。
10数年前、ただただ有名になりたい。そんな若者特有の青臭い想いを抱いて上京した石井は、何者にもなれず夢半ばで帰郷した。
その時は叶わなかった夢が、今叶いつつある。
当時、何者でもなかった石井は今、麻雀プロ、現王位石井良樹として、マスコミから取材を受ける存在にまでなった。
今後1年間、現王位として、取材や放送対局の登場、各タイトル戦のシードなど、まだまだ輝ける舞台は数多く用意されている。
また、そこで輝きを見せれば、再び同じ舞台に立つことも出来るし、更なる高い舞台も用意されることだろう。
石井良樹の物語はまだ始まったばかり。今後の活躍にも注目したい。
最後にインタビュアーの立場ではなく、1人の友人として…
本当に嬉しかったよ!おめでとう!
カテゴリ:プロ雀士インタビュー